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2007-11-04

『日本共産党』筆坂秀世(著)を読んで

  • 日本共産党  筆坂 秀世(著) 新潮新書

Fudesaka_book ある日立ち寄った本屋の新刊書コーナーに並んでいた。思わず手に取った。「何があってこうなったのか?」

目次を見て手に汗が出るのを感じた。筆坂秀世さん、忘れるはずもない。私が党員だった頃、若手の中心的存在だった。

昔から日本共産党は、外国の共産党と違って「官僚主義的で独裁的な共産主義の顔」を持たないと自己主張してきた。しかしこれはつくられた外見ではないのか。海外の党とそのあらわれ方は違っていても、実際には裏切り者への粛正、弾圧が数多く存在する。

著者はセクハラ事件をきっかけに党を辞めたと聞く。しかし当の事件とやらはきっと本人の書いている程度のことなのだろう。党は「人として倫理に反する」などと言うが、何を大袈裟な(笑)。「共産党員のモラル」なるものが、今まで党の内部でいかに正当な意見者を排除するために使われてきたことか。

読めば、著者は党の幹部であった頃から党の基本政策についていくつかの疑問を抱いており、多少ながら不破氏やその他の幹部に意見書を出していたらしい。それはこの本の後半、特に自衛隊問題などをめぐっての部分に読みとれる。筆坂さんへの措置が出来事の内容に比して不当なものであったろうことは、実際に「セクハラ現場」とやらにいた筆坂さんの元男性秘書が党中央の措置に納得できず抗議の離党をしたといった一部報道(もあったが実際は筆坂氏への中央の措置に抗議したことから04年除籍されたと思われる)や、さらに筆坂さんの妻も同じく抗議の離党をしていることから窺い知れる。これは私の想像の域を出ないが、おそらく筆坂氏は党内でだんだん疎んじられる存在になり、何らかの粛正的意図を背景に"はめられた"のではないかと思う。実際そうゆうことが行なわれ得る組織である。

書物というのは、読む人の考えや立場によって様々に解釈されるのだから、外部から冷静かつ批判的に見ている方たちから見れば、「著者は辞めてからこんなことを書いて卑怯だ」「筆坂、おまえもどうせ一緒にまちがったことやってきたんだろう。いまさら何書いてるんだよ。」といった意見が出ても当然である。またそういう意見が間違っているとは少しも思わない。実際筆坂さんも、今までの共産党を担ってきた幹部として批判される面が多々あると思う。当然そのことを考慮して、著者自身最後の方で自戒を込めた記述もしている。ただ、一党員経験者として言わせてもらうと、党員である限りこのようなことを言ったり書いたりは、けっして出来ない!!...それが日本共産党であるということもまた事実。

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共産党の組織原則に「民主集中制」というものがある。これを中央で会議か何かする時の議決制度のようなものと思っている人も居るらしい。しかし実際には(できっこ無いにしろ)末端にまで貫徹することを目的とする、それなくして共産党が共産党では無くなるような原則である。例えば末端の組合会議などで一部の党員が支部の方針と違った態度を取った場合など、組合会議後の党会議で反対者を吊し上げる時にそれは顔を出す。共産党員が「民主集中制」が素晴しいものだと思い込んでいるとすれば、上部に異論を言ったことが無いからだろう。

なぜそれが共産党の組織原則なのかということにも、(党が弾圧に晒されて来たという)歴史的な理由がある。しかしもういいかげん、その原則と現実がそぐわなくなって久しいのではないか。そもそも民主主義と多数決制度は互いに矛盾した面を持っており、両立は論理的に不可能だろう。多数意見の一致集中を目指しながら組織をまとめていくには、何らかの方法で慇懃無礼に民主主義を黙殺するしかない。

「民主集中制」とは、そのことを腹の中で分かった上で民主主義を装うための「官僚主義」の別名にすぎない。

だから民主集中制は、一枚岩の党の結束を保証すると称して、党内少数派の意見を排除してきた。またそれだけではなく、労働組合運動や原水爆禁止運動など様々な大衆運動で活躍していた共産党員を党の指向に縛ることによって、大衆運動そのものを共産党の支配下に置こうとする背景となってきたし、結果的に党の意に沿わない大衆運動を内部分裂させる要因であった。

こうして共産党は、党の歴史に深く関わった党の財産のような人物、有名な作家・芸術家であろうと、戦前から反戦の旗を掲げて戦った古参の哲学者であろうと、早くから北朝鮮の人権問題を見ぬいた赤旗記者であろうと、筆坂さんのようなたとえ党のナンバー4であろうと、中央の意見に逆らう党員なら次々に排除し、「無かったこと」にしてしまうのである。

筆坂さんをめぐる一連の出来事から垣間見えるものは、またもや、いつものこの共産党の体質である。

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共産党と言えば、私自身にとって忘れられない出来事を以前書いた。

さよなら共産党〜忘れられない出来事

若い頃、大学を卒業して最初の就職先であった社会福祉の現場で起きたあの事件が、私個人の思想信条に与えた影響は限りなく大きく、あれ以来共産党について、社会主義思想や運動について、党の御用新聞や御用学者の文献ではなく、まずは情報源を広げ、たとえ不十分であっても自分自身の頭で考えようと努力してきた。そんな試行錯誤の時代が、東西ドイツの統合、ソ連共産圏の崩壊の時代と重なったインパクトは極めて大きかった。そんな時代を経て後に、共産党を離党する道を選んだ。

あれから10数年、多少の変化を感じる時もある。インターネットの時代になり、いろんな情報が手にはいるようになり、昔なら信頼できる友人にしか話すことの出来なかった個人的な本音というものが、ネットの世界に書かれるようになった。共産党員であっても、ネットを通じて組織とは違う自分の本音を発言する人が現れてきている。インターネットという目に見えない一般大衆にむけての個人的意見の発露は、民主集中制の原則から言って明確な規律違反となるものであり、かつての共産党であればまず考えられない現象である。

「赤旗や党員組織の中での意見ではなく、自分の足で地面に立ち、自分の頭でものごとを考える、そんな普通の事がどれほど大切なことか!」私は年をとるたびにそう思うようになり、離党したかつての判断が正しかったことを確信するようになった。ただ実際には、それでもしばらくの間は選挙のたびに、共産党とその候補者に1票入れていた。日本の政治に本当に民主的な意見が言える政党は他にないのだ、だからこそもっともっと変って欲しい。こんな思いを抱いている支持者や私のような元党員、党費を収めているだけのような周辺部の党員、私の時代には考えられなかった赤旗をとらない党員、そんな人達はどのくらいいるのだろう。一説では除名・除籍・離党者の総数は、現在の党員数を上回るという。その人達の声なき声がなぜ党にはとどかないのだろう。

筆坂さんの本は、まだ出版されて日も浅かった頃から、アマゾンなどでさっそく一部の方がぼろカスにけなしていた。党外部の方の批判といかにも党員の書いている批判文というのはすぐに区別がつく。おそらくは、そういう人の多数は「熱心な」党員であるのだろう。そういう方は本当にこの本の内容を読んでいるのだろうか?そういう党員は、党外の人から見れば、赤旗が批判文を出したら、それをそのままオーム返しにしているように見える。「がんばっている」日本共産党員ほど、自分の頭と言葉で考える能力を失っており、外部から見ればどことなく宗教のような奇妙な印象を与える。熱心な党員ほど、言うことが同じなだけでなく、喋り方まで似てくるとは、世間でよく言われること。

この本が出た後、党の正式な批判文が赤旗や党の公式サイトに掲載された。それを受けてあるインタビューで答えた筆坂さんの次の言葉が印象的だった。

党は私に共産党を支持しないでくれと言うんでしょうか?

熱心な多くの党員は、まともな与党政治批判等をやっている時以外の、何気ない 雰囲気や態度やちょっとした言葉で、党への支持を失っている。理想に燃えて一つの思想に一途なことが、別の角度から見れば妙に排他的に感じるのである。不幸にも党員はそのことに気が付かない。一般企業に勤めて、普通の労働者=いわゆるプロレタリアートと呼ばれる人達と日々働いている今現在の私は、なぜ日本共産党が嫌われるのか、その理由をこの耳と肌と臭いで感じるのだが...。

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筆坂さんのこれからのことを想像すると、いつも繰り返されてきた共産党おとくいの例の批判キャンペーンのパターンに晒されるのだろう。これからこの本が、もっともっと当の共産党から粉々になるまで、それこそ引用文の一字一句を引合に出して、「ここの解釈がおかしい」とか「この引用の仕方は部分的であって、読者の目をごまかそうとしている」「意図的な作為を感じる」などなど...、いつも赤旗に載っている政敵に対するねちねちした例の批判パターンの対象にされ、もっと昔、中野重治やその他のたくさんの著名な人々がそうであったように、筆坂さんの名前は党の歴史から抹殺され、熱心な党員ほどまるでどこかの宗教のように党の言い分を信じるのだろう。そういう党の奇妙さが、一般の国民からどう思われているのかふりかえりもせずに...(そして党はますます小さくなるのに)。

であるならば、なおさらこういう本が貴重ではないか。共産党を良く知る人達にとっては、話題的に新鮮なものは少ないだろうが、補う要素はその後の筆坂氏周辺の著書に現れてきている。この本がこれほどの元幹部によって発刊されたという事実の重さは今も変わりない。

著者が言うように「正しい共産党」など正しくない。日本共産党に疑問を抱いて離党した多くの人々はそう思うだろうし、いろいろ批判があっても、このような文章を世に出した著者の勇気には敬意を表したい。

けっこう長いのに、これでも短縮版(笑)。

もっとウンザリしたい方のためのかつての原文はこちら

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コメント

私のブログへのコメントありがとうございました。

ご紹介いただいたエントリーを読ませていただきました。
共産党批判をする方の中には「嫌共産党感情」が先行していると思えるものや、ただのバッシングのようなものが多いようで、私自身はどんな人とも距離を置いていました。もちろん好き嫌いで論じるものではないと思いますが。

私は、マルクスについて書かれた書物も筆坂さんの本も読んだことはありません。

ただ若い頃から私の周りには民青の人や共産党の人がたくさんいて、入党を勧められたことが多く、その方たちから「科学的社会主義」についてのレクチャーを受けたことはあります。私は唐変木なので、彼ら彼女らが信じているというすばらしい共産主義を受け入れられない感覚があって、ある地点から近づけないでいました。でも彼ら・彼女らのことを否定するつもりも批判するつもりもなく、ただだらだら~と付き合ってきました。いい人が多かったからです。

この世の中に完全なものがあるはずもなく、どんなやり方も欠点を含んでいると思います。また自分と価値観が完全に一致する人もいないと思っています。私の内面を理解してくれる人も組織もいないとさえ思うくらい。
私は群れて何か行動したり、共闘したり、というのが苦痛なのです。共産党の組織活動と一線を画しているのは、(私のような)一匹狼のような考え・行動を受け入れる度量のなさを感じるからでもあります。それは自民党にも、民主党にも言えることでしょうが・・・

イデオロギーに関心はありません。一人一人、この世に生きてきたからには自分を大事に、かつ他人も大事にできるそんな世の中であればいい、極端な話、自民党でもいいのです。

若き日、民青の人が全学連の委員長に会わせてくれました。執行部の幹部たちが議論しているところを離れた所からみて、すごいなあと思いました。私はそれほど勉強していないし、物事をよく知りません。だけど、自分の感性だけは当時からひとつも疑っていません。自分の中に修正できる姿勢は持っているつもりです。それに他人がいいと信じてやっていることなど、私の生き方の邪魔さえしなければかまいませんよ・・・と(笑)。だから、組織に入らなくても言いたいことを言わせてもらえる友達でいられるみたいです。

ネット上で熱く議論のある所にもあまり近づけないのは、自分の感覚が付いていけないだけのことです。冷めた人間と自覚して、孤独を楽しんでいます(笑)

こちらのエントリーは想像していたアレルギーも起こさず素直に読めました。こういう感覚は大事だと私も思っています。なんだか、ホッとしました。

コメントありがとう。昔は単純に理想に燃えて共産党に入った私でしたが、理想や理論と自分が出会った現実とのギャップが埋まらなくてずっと迷いながら生きています。きっと人間らしく生きようとすれば、複雑な出来事ほどそう簡単に決断できずに、迷って悩んでいく方が自然なのだと思います。私は共産党を批判しますが、全面否定はしません。これからもたくさん居る党員の知合いに、外側から自分なりの問いかけをしていくのでしょう。

JKBさん、お邪魔します。
ある障害者の自殺、読ませていただきました。衝撃的です。
福祉会創設幹部による虐待暴力・・・
信じられないほどひどい。
私の同級生の多くも、その福祉会に入職しています。
彼らもその事実を隠して、職場を守るために働いてきたのでしょうか。

私は老人ホームで働いていました。老人同士の喧嘩が起こり、老人ふたりに退所通告がされました。ひとりの老人は退所期限の前日、首吊り自殺しました。老人が死ぬ前に、最後に話をしたのは私です。行くあてのない老人の問題を解決できず、悔やみました。どうしてあのとき、老人に共産党に相談してみてとアドバイスできなかったのかと、その後ずっと悔やみ続けました。
JKBさんの体験を読み、自分の経験を思い出しました。

時代は廻って、今、私は民医連・代々木病院を相手に自分への誤診を認めさせ、謝罪させるために闘っています。
今日、代々木に行ってきました。あまりのお粗末な謝罪に、打ちのめされました。ここまでくるのに2年間、しかし闘いはこれが序盤なのだと思い知らされました。
卑怯な、卑怯な、恥知らずの代々木の赤い病院の連中め。
絶対に許さないぞ。
今夜は非常に頭が混乱しています。疲れました。

僕は共産党に入る前から、わけあって警察権力に強い不信感を持っていました。また、僕の告白を聞いてくれた当時の理事を尊敬していました。そんな当時の僕は、辞めた後自分から警察に事件を持ち込むこともなく、職場の良心に期待したのです。
しかし起きてからすでに2年以上過ぎた事件。S君の遺骨は土の中。唯一の遺族であった母親もそのときすでに高齢で、数年後に亡くなられました。警察はS君の自殺については調べましたが、人の言葉だけでは事件と見なさない証拠第一の県警が、それ以上深入りすることもありませんでした。またひょっとしたら、一障害者の自殺なんてというような、警察の差別観も当時はあったかもしれません。さらに理事にしても、累々と築き上げた法人がスキャンダルの海に投げ込まれるのは望まなかったのは当然です。結局一部の幹部たちはうまくやりおおせたのでしょう。

昨年、僕と同期で入って、僕が辞めた数年後に退職した人に再会しました。お互いいろいろ苦しんできたんだねと、あの頃の話をしました。でも例の事件について、彼女はもちろんよくおぼえていましたが、その真相の奥の奥までは知らされていませんでした。同期の人ですらそうですから、ましてや今の若い職員はほとんど知らないでしょう。

あの職場は、現在14(だったかな?)ほどの施設を持つ巨大法人に成長し、日本でも有名な「民主経営」として、その地位はゆるぎないものになってきています。だから、大阪でも大きな書店に行くと、社会福祉のコーナーには「○○会××周年記念誌」なるものが置いてあったりします。僕も何度か手にとって読みましたが、あの事件については、ほんの数行「.....という残念な出来事もあった。」みたいな感じでちょっとだけふれてるのみです。

昔、大阪は岸和田で起きた、自殺した青年をいじめていた数人のグループが逮捕されるというニュースをテレビで見ました。翌日の通勤電車の中で、「なぜ僕はあの時、すぐに警察に行かなかったのか?」という想念に突然とり付かれ、泣きたくなるような不安定な気分におそわれました。その思いはその後数年間持続しましたが、警察に行かなかったのは、どことなく自分も党の「洗脳」から完全には抜け出しきっていなかったからのような気がして...、また今ごろそんなことを考えている自分が偽善的に思え、自分を偽善的だと考えている自分がまた偽善的にも思え.........。

でも今は、そういう考え方はしなくなりました。あの職場は一時ネット上で、「オウムに似てきている」とか「紅衛兵が居る」なんて言われてましたが、内部には何とか立て直そうとがんばっている人達も居ると聞いています。障害者にとって貴重な職場であることはまちがいないし、今更関係者を告発してもしかたがない。ゆみさんの体験も強烈ですね。老人ホームの中での暴力なども昨今問題になっています。僕の体験をもっと広い視点で捉え直し、読んだ人に何かを考えてもらえるきっかけになったらそれでいいと思うようになりました。

若い頃、マルクスの「経済学・哲学手稿」に書いてあった、「一人の人間としての自分個人と、社会の進歩を一つのものとして重ねあわせる」という言葉に心酔しました。でも今は、「一人の人間」と「社会の進歩」を単純にイコールで結ぶことには抵抗があります。
僕はネットで見つけた renanaya さんの記事に書かれている、ある高校の事件にとても深い関心を抱きました。「うさぎの小部屋:共産党がダメなわけ」
=>http://usagikobeya.blog68.fc2.com/blog-entry-519.html

ひとは、人間らしく生きるより、組織の一員として生きるほうがたぶん楽でしょう。人間らしく生きることは勇気がためされるし、以外と難しい。時には、人間らしくあるために、信頼していた組織と対立することもあるし...。マルクスには申し訳ないが、人間であろうとすることはイデオロギーとは関係ないと僕も思います。

少し前に、このブログの冒頭の詩を書かれた作家 城山三郎さんの考えや戦争体験に強く感動しました。城山さんの思いや組織への不信はとても強くて、「旗たため .... 運動という名の旗も ....」とまで言われると、「国策の旗はまだしも運動の旗もたたむのかよ!」と、時には驚きました。
でもやっぱりよく考えると、組織やイデオロギーよりも、普通の人間らしい感覚を大切にすることのほうが必要です。心の声に耳を傾けて、自然に歩いていく方がいいのです。やっぱり「旗たため、限りある命のために」ですよ。

こんにちは。再び、renanayaです。
JGBさんの思いの深い部分がよくわかるので、こちらへコメントいたしました。

ところが、反共産党的立場の人なのか、私のブログのエントリーが都合よく引用され、はてなのブックマークにいくつか張られているようです。まったく・・・です。

こういった人々の意図するところと私の本意とは大きなズレがあると思っていますが、如何せん、「一部をおいしく引用させていただきました」というのがみえみえで、苦笑いしてます。

組織について私の経験から言いますと、組織というものは守りに入ったら、守ることが目的化してしまいます。
共産党であろうと、その他の組織であろうと同じでしょうね。
子どもの小学校の標準服問題で多くの母親たちと組織だって行動しようとした時も同じでした。だからあの時自然に集まってきた人々の流れから、私は離れて一人ででも出来ることをやろうと考えました。

一人での行動は勇気が要るし、自信も必要です。数という組織に安住したほうがどれだけ楽かとも思います。

ちなみに、 JGBさんが体験されたおぞましい出来事に似た事件は、ある公的な施設で聞いたことがあります。風通しの悪い、閉鎖的な組織なら、叩けばひとつやふたつの後ろ暗い出来事が出てくるだろうと思ったりもします。

「出る杭は打たれる」と言いますが、「出すぎた杭は打たれない」と言ったのも、自分の頭で考え行動した元共産党員の人が言った言葉です。
個の良さがもっと発揮できるといいと思うのですが・・・むずかしいですね。

たまたま此のブログを拝見し、しっかり読ませていただきました。私は今共産党員です。僕は以前「創()学会」に居て、「()明党」の選挙運動なども行ってきました。組織というのは汚いものです。信じるものによってその言い分はまるで異なります。自分が所属するところには自分のプライドと良質な友人とが必ず存在するから何か批判されると守ろうとするものです。ウサギの小部屋も読ませていただきました。(引用)『組織への個人の批判が許されない環境なら、自民党であれ、民主党であれ、共産党であれ、組織の浄化は望めない。「数の力が世の中を変える」と言ったのは共産党であった。自民党は数の力で無理難題を強行した。あるべき日本の姿が数の力で再生されるのか。「数の力が決める」としても、個人の良識が抹殺されてはいけない。個人の見識が生かされる度量が組織にあってほしいと思うのは私だけではなかろう。共産党に必要なものは個人のしなやかな意見ではないかと勝手に思っているのだが、人材不足は与野党ともに同じ悩みにも見える。これこそがいまの一番の問題ではなかろうと。』(引用終わり)その通りであると思います。どの組織であろうとそうでなければと思います。個人の権利、自由が許されない組織は民主的では有りません。しかし、組織というものは要求実現のために集まるものです。要求に応じた大きさの力を集めなければ要求は実現しません。だからこそ小異を捨てて大道につくものとして組織が必要になります。しかし組織を続ければ、必ず力関係が生まれ、ゆがみが生まれます。ゆがみが生まれない組織のある程度理想的な組織だった例は小田実さんらが作られた「ベ平連」でしょう。誰もがはっきり判る具体的な要求に基づく要求組織。そしてその結果が出たらすぐに解散する。というようなものでしょう。しかし、そのような組織はなかなか存在しません。何故なら人は右も左も中道?もなく、みなほとんどの人が自分のプライドを持ってどこかの組織の中に居るからです。そして具体的要求にも価値観もまた一人一人意見もニュアンスも違うからです。みな真摯により良い社会をと思っているのに、悪質?な個性が問題を起こして邪魔をしてしまう。しかし、いくら議論してみても、絶対正しいという意見はあり得ないはず。他人の意見を聞きつつ自分の所属している組織をより良くして行く努力しか無いと考えます。またちょくちょく拝読させていただきます。ありがとうございました。

もう2年以上前の記事を発見していただき、ありがとうございます。近頃は、このバカ長い文章、誰も読まないだろうからそろそろ片付けようかと思っていました。でも読んで下さる方が一人でもおられるなら、もうすこし放置しようかな(笑)。しかもあなたは党員ですし。
今の私は、このような良くも悪しくもアジテーショナルな悪文を書くこともないでしょう。党批判の不毛も分かっており、同じような党批判者や党員と話す中で、私の中でも風化が起こり始めています。
全ては内外問わず共産党が衰退してきたことが原因。共産党に関心を持つ人などごく小数、外から見れば党員も党批判者も同じ穴のムジナ、天然記念物。マルクスがレーニンがと書く者などもはや老害か(笑)。党批判だけでなく、いつまでも資本主義 vs.社会主義などといった時代でも無いので、老害という見方も当たっていると思います。昨年の衆院選前の会見で、ある新聞記者が志位和夫に「いまさら共産党の存在価値など有るのですか?」と冷水な質問をしましたが、ある意味あれが今の世間の共産党に対する、ごくごくノーマルな感覚なのだと感じます。
組織の矛盾...、そんなものは何党にだってある。だから共産党だけを批判しても無意味。ただ私は「党批判=不毛」論には少しだけ異論があって、例えば共産党が存在しないと想定しても、官僚主義とか排他主義とかいった「共産党的な現象」はどんな組織にも有り得る。仮に今の民主党がもっと強大な組織になったら、「共産党的な現象」がその中に起きてこないでしょうか?
共産党には関心が無い時代でも、村上春樹の1Q84の関連でオーウェルの1984が読まれたりする。「共産党的な現象」とは、本当は共産党とは違ったもっと別の名前で呼ばれるべき何かであって、いつまでも党批判を通じて考えていくものじゃ無いのではと思ったり。比較的自由に意見の言える緩やかな支部で党生活していると、きっと分からない。党員純度90%以上の人間関係で、すこぶる官僚的教条的な上司が居て、自分の意見が圧殺されるような環境なら、この「共産党的な現象」が少しずつ感じていける。きっと最悪のブラック企業や最悪の宗教団体に居る人が、よく似た経験をしていると思います。
これはきっと、書いておられるように「小異を捨てて大道につくものとしての組織」が一つの方向に収斂していった時避けられないものかもしれないです。共産党にとって「大道」とは何でしょうか?おそらく「史的唯物論=社会発展の理論」が問題。その理論的な面よりも、それが党員の無意識に培うプライドが問題ではないかと。今でもあるのでしょうかね。親指が党員、小指が民青、何もないグーが一般人というあの失礼な陰語!
忘れ去っていいとしつつも、マルクス主義は一つの時代を築いた思想なのだから、その過去に何も学ぶべきものが無いとも思いません。
また私は、今現在党員で居ることに価値が無いとも思いません。フランス共産党の中から党批判したアルチュセールのような人が日本共産党にも居るなら、私なんかよりずっと立派。聞けば、次期党大会に向けて内部からかなり批判文が出ているのに、有料少部数の党員誌でしか読めないとか。あなたも自分の意見をネットなどで発言してみてはいかがでしょう。『共産党の中でこれ以上続いてはならないこと』(アルチュセール)が、あまりに多いと思いませんか?

この記事への久しぶりのコメントで、ちょっと戸惑いでしたが、文章を読んで、あなたがとても真面目で誠実な人だと感じました。少しほっとしました。ありがとうございました。

JGB様、時折「悪魔の辞典」で名前をお見かけしておりました。偶然サイトを発見してJGB様のサイトであると知りました。そして貴殿の過酷な体験を読ませていただきました。そして堂々とかつて党員であったことを告白され冷静に現在の共産党を観察されている姿勢に感銘いたしました。私もかつて党員でした。私はJGBさんのような苛烈な経験はしておりませんが私の党体験を書きたいと思います。
私の場合は父親が党員で子供の頃は反発していたのですが親元を離れ民青・共産党の強い大学に入り一度この党を政権につけたいと思うようになり入党しました。まあ子供の頃父に反発しながらも父は正義の道を歩いていると心の片隅では信じておりましたからそんな父の苦労が報われてもいいのではないかと思ったのも動機でした。私も70年代半ばの入党でしたから当時革新自治体の拡大に現れたように共産党は発達した資本主義国の革命路線で新たな道を切り開いているように思われたのも大きな動機になったように記憶しております。でも大学での活動は日和ってばかりでした。一度組織の長になってくれと頼まれましたが当時学内では反共産党系の学生との衝突が厳しさを増しており組織の長になることは心身とも破滅の道に行くことは明らかでした。というか単に自信がなかったのです。私は泣いて断りました。その時から自分は党員失格の人間として劣等感を持って生きざるを得ませんでした。決して先頭には立たず新聞配達、集金、地域でのビラまきなど地味な裏方で活動することにしたのです。大学もまともに卒業せず共産党の強い組織に就職しました。そこでも地味な活動に徹しました。でも反共産党系の学生との衝突はなくなりましたからその分は気楽になりました。でもその一方で厳しくなったのは赤旗拡大の追及でした。このあたりから共産党への疑問が強くなっていきました。赤旗増やしたってどうにもならないだろうと思い出したのです。
そして私は共産党を離れる気持ちを持つようになりました。そして最後のご奉公として1979年の総選挙は頑張りました。結果過去最高の議席を獲得しました。私はそこで一区切りをつけて新たな道に行く決意を固めたのです。申し訳ないが共産党の活動は一旦お休みにさせてもらうことにしたのです。転籍手続きをあいまいにしたら連絡は来なくなって私は幽霊党員になりました。でも私は私の選んだ新たな道で一人前になれたらもう一度党に戻ることも考えてはいたのです。しかしそんな思いもすべて吹き飛ぶ事態が発生したのです。翌1980年の総選挙、大平首相の急死で自民党は大勝。共産党は確か20数議席に後退したのです。その結果を見て私の頭の中で一つの結論がはっきりと見えてきたのです。それは共産党はどんなことがあっても選挙で政権に就くことはないと言うことです。私にはわかったのです。この国で政権を取る(つまり政権交代する)ためにはあまりに大きな変化があってはだめだということがです。当時共産党が提唱していた民主連合政府構想でさえ国民に受け入れられることはないとはっきりわかったのです。つまり共産党の党勢拡大活動をいくらやっても徒労に終わるのです。私ははっきりと共産党に別れを告げる覚悟を固めましたがその後いろいろごたごたがあり最終的に離党できたのは1985年になってからでした。
以上が私の共産党体験です。まあ何ともいい加減な日和見党員と思われるでしょう。でも結果的にそれがよかったんだと思います。学生時代に組織の長を受けていたら今の私はないでしょう。この世に生きていないかもしれません。あの時泣きながらも自分の気持ちに正直だったことが命を救ったのだと思います。でもずーっと劣等感を抱き続けていました。私は革命に確信のない人間なのだと。そんな私が自分への評価を180度変える日が来るのです。それは東欧・ソ連の社会主義体制の崩壊の日です。それ以後知ることになる社会主義国の実態のいかに醜悪なことか!とりわけ野坂参三の同志密告・売渡しの事実には衝撃を受けました。
その時私はあの運動に確信を持てずにいた自分こそ正しかったのだと思う反面私自身の様々な誤りにも気付いたのです。例えば学生時代の自治会運動にしても一般学生から見れば党派運動としか思えないものだっただろうし学生を分裂させていたのは我々の運動であったと悟りました。また我々がトロツキストと意味も考えずに非難していた学生の方が社会主義の過ちを先駆的に指摘していたのであり何もわからずにいたのは我々だったと知るに到ったのです。一般学生を大衆と呼び党勢拡大の対象としか見なかった我々の組織・運動のなんと思い上がっていたことか!前衛などと思ったことはなかったが一般学生よりは進んだ人間だと思っていたのは事実です。
組織を離れてからは私は一般社会でひたすら生きてきました。かつての仲間を振り返ることもありませんでした。共産党の衰退や混乱も横目では見ましたがどうでもいいことでした。しかし共産党の「ソ連崩壊は大歓迎」発言には驚き、かつ呆れてしまいました。かつて理論的指導者として崇拝にも近い感情を抱いた不破哲三の発言ですからね。
どんなに頭のいい人間でも穴蔵のような組織の中で一般社会の様々な考えに触れずにいればどんな恥知らずにもなれるのだなあと人間として本当に寂しい気持ちになりました。言葉は悪いですがただの馬鹿ですね。マルクスの書物をどんなに読んでも普通の人間が抱く普通の気持ちがわからなければ革命もへったくれもないでしょう。
私も50台半ばになりました。この党もいずれは自然解体するのでしょう。しかし20代にいかに未熟であってもまた迷いながらであっても間違った運動に加担した事実は消えません。もう少し時間はかかるかも知れませんが私は私の体験したことやったことを記録に残そうと思っています。JGBさんの過酷な体験の告白には比べるべきもありませんが必ずや実現しようと思っております。そして共産党などという欺瞞に満ちた政党が一日も早くこの日本から消滅する一助になればと思っております。しかし今の共産党は専従者(私の友人にもおりますが)たちの生活維持組織ですからなかなか消滅しないこともよく知っております。
私の知っている範囲でもまず間違いなく共産党体験をした人はその事実を語ることはありません。まあ語っても何一ついいことはありませんからね。その意味でもJGBさんの勇気に拍手を送りたいと思います。今後時々覗かせていただこうと思います。JGBさんの発言に期待いたします。

屁の突っ張り様、とても熱心なコメントありがとうございました。私も貴殿のお名前は時々拝見しておりました。そうですか、元党員だったのですね。しかも父上も。学生の頃党員の子供だった同級生が多く、ここのどこかの記事にも党員の子供という複雑な境遇について書きました。

屁の突っ張りさんは、私より少し先輩です。1979年の大躍進の時に私は大学に入りました。でもいろいろあって東京で浪人していたのでまわりより少し年食った入学でした。あの大躍進の時は、勝利の大断幕が大学の研究棟に貼ってあり驚きました。私の大学は、自治会はもちろん、教授会から教職員組合まで、そんな真っ赤な大学でした。

赤旗拡大の追及から党への疑問に至る道....、これはすごく伝わる話です。私の妻(大学の同級生)がちょうど党生活欄にも時々載った熱心な拡大リーダーで、そこの苛烈さから党への疑問を抱き始めたタイプです。赤旗拡大も深みに入ると、県委員会レベルの専従の人達の苦労や私生活まで見えてきて、共産党のダブスタがありあり分かる道ですよね。またその話は記事に書きたいと思っています。

この記事のような言葉で書くことは最近は少なくなりました。もっと柔らかく読みやすくしないと読んでもらえないしw それ以上に、共産党そのものへの世間の無関心を強烈に感じていて、ヤメ共的文章は受けないな〜と感じる時あります。

共産党批判に熱を込める人間自体が、共産党とともに天然記念物になってきているようで(笑)、時間の浪費、不毛と思え、私も「奴ら」に無関心で居たいな〜と思う時あります。振り返ることを止めた時期のあった貴殿にも、そういう気持ち分かると思います。ただ、残っている知人友人党員に、貴殿が書いておられるような「前衛的思い上がり」が今だに強いのをいつも感じていて、そのことの不快感から党へのこだわりを捨て切れません。

でも共産党は、世の中の空気としては、正直もう終っていますよね。

おそらく共産党を真に消滅させるのは、この無関心とネットの力(特にその技術)だと思っています。共産党自身は、自称「正当派」マルクス主義政党という本質を上手く隠しているつもりなのでしょう。でも、政党なんてマニフェストで分かれば良く、共産党も利用できるところはしていこうといった、弱者擁護=左翼的な党外支持者の心情ですら、党の本質を社会民主主義的に解体させていくことになると考えています。

「共産党が社会民主主義政党へと変貌していくことと、共産党が消滅していくこととは、同じこと」です。「ルールある経済社会」なんて言い出した共産党は、共産党では無い政党へと融解していくほかありません。党の中で綱領と革命路線についてそれなりに学んだ人ほど、その意味は分かると思っています。これから多少の上昇あっても確実に"自然死"していくでしょう。

このブログ、堅いこと書いているのでコメント数は少ないんですけど、その分書かれる方たちが比較的熱心な長文で、屁の突っ張りさんのように、とても真面目な意見を書いて下さるので、ありがたいです。こうして時々でも永久保存版的な貴重なコメントが増えていって、それをまた、この前の kimさん のような誠実な悩める党員の人達が読んで下さるなら、意味のあることかもしれません。

確かに元党員で、ネットで体験や批判的な思考を書いている人は、宮地健一さんを頂点としてまだまだ小数派かもしれません。でも皆長い時間をかけて心の中に煮詰まった何かを抱えていると思います。有田芳生さんも、以前ある記事にコメントいただいた時に、いつかは共産党の体験について書くつもりとおっしゃってました。屁の突っ張りさんの話からも、そうした元党員の心の中に煮詰まった何かが、じわっと伝わってきます。党体験の無い人には伝わり難いものかもしれませんけど、私は良く分かります。

私も知るところの、妻の直接の先輩が今年、中央委員になりました。こんな記事を書いた僕が、共産党の方角を向けば敵ばかりでしょう。でも僕も、あなたも、党を外から囲む広い世界に住んでいる。

屁の突っ張り様!あなたも、あの党を辞めて本当に良かったです!今ここにあなたが居るなら、手をとってそう言いたいです。

JGB様、丁寧な返信ありがとうございます。私も言いたいです、「共産党を辞めて本当によかった」と。私も初めてこのようなまとまった形で共産党体験を書くことが出来たので長年の胸のつかえが取れたような気がして嬉しくてなりません。このような場所を提供してくれたJGB様に感謝いたします。私も共産党を離れて四半世紀以上がたち
とりたてて反共産党活動をしているわけではありません。私の周囲には共産党員も存在せず日々私は働き生きるための糧を得て生きております。
このことが私には至上の喜びです。それもあの日共産党と分かれる決断をしたからだと遮二無二働いた日々から今はようやく自分の時間を持てるような生活となって冷静にそう思えるようになりました。思えば私のかつての党員仲間はほとんどが教員、公務員、そしていわゆる民主組織(民医連、民商など)の専従職員、そして党職員です。いわゆる民間で働いている党員仲間は極少数です。私は労働組合もないワンマン社長の会社で働いたこともありますがそこで知り合った仲間は本当に気持ちのいい仲間達で困ったことがあれば何かと助け合える仲間でした。教員、公務員はまだ一般社会との接点はあるけどやっぱり閉鎖的な社会です。民主組織の専従や党職員は組織に批判的になればその瞬間にもう関係は終わるでしょう。私がいたある組織もいた時はまさに同じ釜の飯を食った仲間でしたが辞めたら電話一本かかってこなくなりましたからね。それに比べれば組合などなくても一般社会の付き合いの方がなんと暖かいことか。それを知っただけでもあの世界と決別した意味があったと思っています。それともう一つ私が党員時代から身につけた一つの確信的行動があります。それはどんなところにいても(共産党であっても民間の会社であっても)自分が納得いかないことは絶対に承諾しないことです。私は学生時代に組織の長になることを断ってから出来ないことはやらない党員になりました。ある時私は党組織の幹部からある党活動の意義をこんこんと話されたことがありました。
私はその幹部を私が出来ない任務を見事に遂行する党員として尊敬しておりました。また人間的にも魅力のある人物でした。でも私はただただ話を聞くだけで言い訳もせず感想も述べませんでした。つまりほぼ黙秘状態です。何かを話せば私自身の劣等感が私の中で大きくなってあふれ出すことがわかっていたからです。その幹部はまさに革命の確信に満ちた「理想的」党員像を体現したような人間でした。彼は何一つ語らない私を見て大きなため息をついたのを記憶しております。彼は卒業後民主組織の専従職員になり地区委員会の幹部となって活躍したようです。本当に魅力ある人物でしたので私は将来的には中央の幹部か国会議員候補になるのではと思っていたくらいです。その彼が昨年自殺しました。卒業以来会ってないので彼がなにを考え何を悩んでいたのかはわかりません。しかし学生時代の言動からは自殺は想像できませんでした。実際の原因が何なのかは聞いていませんので軽々しくは申せませんがまさにどんな困難も乗り越えていく共産主義者、鉄の意志を持つ男でしたからその死はまだ信じられません。あの時何一つ語らなかった私がこうやって生き延び革命の確信に満ちその意義を語った共産党員が自ら命を絶ったのです。このことから私は一つの教訓を見い出しました。自分が納得できないことは絶対にしないと。「意義と任務」で自分を納得させることは人間の判断基準としてはあやまりであり本能的にいやな事は拒否した方がいい結論が出るように思います。そして党を辞めたことからももう一つの教訓を見い出しました。それは人間辞める覚悟になればなんでも言えるということです。ワンマン会社の社長の下で働いてた時もその覚悟が生きました。「辞める覚悟」とは生活の糧が絶たれる覚悟です。つまり別の仕事を探して生きる覚悟です。もちろん年齢や家族によってそう簡単にはいかないでしょう。でも本当に言うべきことややるべきことがあるなら今あるものを捨てる覚悟さえあれば出来るのです。共産党にいる方々が行動を起こさないのは今ある生活を捨てる覚悟が出来ないからです。まあ家族がいてローンがあれば組織に逆らえないのは共産党員もサラリーマンも変わらないと言うことです。共産党体験から一般社会での体験もいろいろありましたからまあ今は冷静に物を見られるようになったと思います。
それもこれも「党を辞めて本当によかった!」からです。長々と私の戯れ言を聞いていただきありがとうございました。時折お邪魔させていただきます。

知人だった幹部党員の自殺、辛い話ですね。
私にも同級生の党員で自殺した男性が居ます。民商の職員でやはり熱心な党員でした。事件を聞いた時は、妻とともにほんとにショックを受けました。
サラ金に追われて、離婚して...最後は相当悲惨な話だったようです。ただ企業に勤めているとそういう人は居ますし、けっこうずるくたくましく生きていたりします。

死んだ友人が、共産党員としての自分の大志と、現実の自分とのギャップに悩んで、そのことが余計に彼を追い詰めたとしたら、などといろいろ考えました。

> 「困ったことがあれば何かと助け合える仲間」「民主組織の専従や党職員は組織に批判的になればその瞬間にもう関係は終わる」「辞めたら電話一本かかってこなくなりました」

私ももう長いこと民間企業で働いているのですが、そのへんの感覚はよく分かります。というか「民主経営」から民間企業に移って、一番強く感じたことの一つです。

ブラック企業でバイトしたこともあったし、企業での体験が全て良かったわけではけっしてありません。リストラやエグイ話もいくつか見てきました。でもそれでも「あの世界」よりマシかなと思っています。

単純に会社の利益を上げる目的で、表面的に企業の一員として日々働く。ここに明解さがあって、「思想」とか「革命家としての実践度」とか「赤旗拡大の成績」みたいな、面倒臭い、人の心を縛り付ける「大義名分」が無いですから。その分、会社を離れた"普通の人"どうしの感覚が底辺で常に働いているのを感じて、「あの世界」とは何かが根本的に違うなーと思って生きて来ました。
またそのへんのことも、そのうち書きたいと思っています。

現在進行形の話です。
私は35年前離党しました。当時の上級機関の指導に納得がいかなかったのが
離党の理由です。最近訴願委員会に当時のことを文書提出しました。
その応対で早く離党してよかったと思っています。

私の長駄文を読んで、上級機関に提訴していないと批判する党員が居ます。そのとおりですが、私が相談した理事は元愛知県委員会の幹部専従でした。そういう上司と所属党支部には相談しているわけです。その手の批判をする党員の言葉には「上級機関」なるものへのバカげた幻想を感じます(笑)

短くコメントします。
入党は1996年4月で、2度目の復学(東京)でしたが、10月に退学し大分市に帰りました。
精神病(当時は就職するつもりだった)と市民運動との兼合いで、結局は地区委員会での「茶のみ」が活動の全てであったと思います。
民青のほうは2004年頃まで地域班の班会に出席していました。
1999年の知事選(統一選)で赤旗編集部から電話があり「政見放送の感想文を『みんなのアンテナ』に書け」と言われたのには「大分県内に私以外に投稿者はないのか」と呆れました。
しかし「精神病なら生活保護を受ければよい」と「保護基準などから東京に戻るのがよい」と知り合いの紹介で2006年5月、現在のアパートに引越してきました。
「保護のために引越す」が理解できなかったらしい。でも「私の面倒」で親子3人・共倒れしかねなかったのです。
「党員としてふさわしい」言動が求められたのですが、精神病者には無理だったのです。
「生活と健康を守る会」の世話役の人が、私に離党を勧めました。彼も私のことで地区委員会がまったく動かないのに腹をたてたらしい。しかし彼も「東京を出るように」言ったのです。
私のことを棚にあげていますが、「異質」なものを排除するだけの「組織」ってどうなんだろう。昔は「信念だけで共産党員でいいんだ」と言ってましたが。
私のせいで昨年の都議選(唯一・空白から回復した区)にでた区議の穴埋めが出来ず「1人減」で来年の区議選(統一選)になりそうです。

豊後各駅停車さん、最近いろいろ読んでくださってるようでありがとうございます。屁の突っ張りさんからのコメントがきっかけで思ったのですが、私のような事件に出会わなくとも、公ではなかなか語れない小さな出来事の積み重ねから、党に疑問を抱いたり離党したりする人たちはけっこう多いと思います(私の身近にも一人)。小さな事と言っても、本人にとってその場面場面ではかなりショッキングであったりして、組織への信頼が揺らいでいくきっかけになる。でも語る場も無いし、疑問が深まるほど党内に語る友人が減っていく。
豊後各駅停車さんの文章からも、詳しい事情が分からなくとも、悩んで来られた経緯がそれとなく伝わってきます。個の心の内側が組織によって切り捨てられてきた感じが伝わります。
なかには、目には見えない「民主集中制」の末端への心理的な浸透と、離党者の個別の体験との関連にさっぱり気付かない党員も居ます。これじゃ党内で悩みなんて語れるわけがない。
いったい誰が作ったのでしょう?この「異質」なものを排除しながら、そんなことは「何も無かった」かのように装う”あのシステム”。

いい内容だった。何気ない仕種や態度で支持を失っているという指摘は含蓄が深いと思いました

わしは、「電気を大切に」生活しちょる。いまは、テレ朝「サンデーフロントライン」を「アナログ音声」(joex-tv)で(10ch)きいちょる。これ以上「電気を大切に」「エコな」生活が、あるか!
イサイフミ!

私は、入党して3年を迎えようとしている。かなり疲れて、少し距離をおきたい。自分らしくありたい。共産党員である前に自分である。人は誰も違う色を持っていると思う。党員みな同じいろでなくてもいいでしょう?偉そうに自分の考えを押しつけてこられるのは、耐えられない。しんぶん赤旗のどこがいいのか分からない・・・・党員であることが息苦しい。

と、突然、自分の思いを書いてごめんなさい。
人間だれもみな平等
幸せになる権利があると
そう思い入党しました。

でも 自由がない

コメントありがとう。ここの管理人のJGB君は今出張中で居ないので、コメントの公開とかは嫁の私がまかされてます。
私も10年以上党員でした(だんなより党歴長いw)。
大学時代から、赤旗拡大が日常という時期がありました。しんどかったけど、最初は意味のある活動だと信じてた。でもしだいに疲れてきて、早く家に帰りたい、買い物とかの普通の女の子のような生活も楽しみたい、と思って直訴してもいちいち反論される。会社だったら今日は残業だがんばれで済むところが、いちいち共産党的大義名分(社会のためとか...)言われるのがうざかった。もっと青春したかったな~...と、今では笑い話。

自分も共産党支持者でしたが
今は嫌悪感しか有りません。
共産党が無くなる時は諸手を挙げて
歓迎するでしょう。

ずいぶん盲目的に綴った文章で。
筆坂さんなら、「このような文章を世に出した著者の勇気に敬意を表したい」と、同じことを言ってくれるかもしれません。
「恥ずかしいのは僕じゃない」と認めたくないがゆえの、うまく弁解にもなっていない書、以外のものじゃないでしょうに、あれは。
見放された機関を相手に、話に尾ひれがつかないわけがないのに、ウラも取らずに出版された本を疑いもせずに読めるのはなぜでしょう。
お話の名古屋の施設って、どの施設でしょ。
場所も時期もぼかしてますけど、読売や産経がよろこんで飛び付く話だったでしょうに。
こんなところで「聞いてくれよ」とやるより、よっぽど望む効果が得られたでしょうに、なんでそうしてないのでしょ?

読売や産経に記事を売る程度の一過性のつまらない効果で終わらせておけば、筆坂さんの名前でググって上から10番以内にこの記事が出てくることもなかったし、あなたがここを読むこともなかったろうな。三面記事の「効果」で終わってほしいのは共産党側じゃないのだろうか。
ウラ付けが必要とは??筆坂氏の書いている内容は、党の内外を問わずある程度党を知っている人間なら聞いていた話が多かったが。
名古屋市中区新栄町東海栄東西ビルのフレッツ局舎経由でアクセスしているあなたが、 その名古屋の施設を知らないというのは本当かなw

まあ、いろいろあっても、なによりも、前日まで野坂さんと呼んでいたのが、次の日から野坂と呼びすてする人は信用できないですよね。sun

両親が日共党員なのですが、両親の気持ち悪い雰囲気が、日共からくるものだったと、再確認しました。
根拠のない上から目線と自分たちだけが正しく他人を馬鹿にする態度、敵と見なした相手の人格を徹底的に破壊する体質…。少しでも両親と違う意見を言うと、ニヤニヤと下品に泣くまで人格否定され両親から徹底的に陰湿に精神的、肉体的に陵辱を受けました。
今は離れて住んでいますが、何かと連絡してくる両親が気持ち悪いです。これ以上傷つけられる義務はないので全力で関わらないようにしていますがとにかく気持ち悪いです。

両親が共産党員という知人が数人居ます。親が党の地方議員だったり中央委員だったりします。親の思想を尊敬する人、反発する人、皆いろいろです。私は党員を辞めてしばらくは、すっきりした気持ちと、どこか情けないような後ろ髪引かれる気持ちの両方あったのですが、その後いろんな人の話を聞いたり、”共産党的ではない視野の”本を読んだりして考えてきた末、今はほんとに辞めてよかったと感じる日々です。離党したことについて、もはや爪の先ほどの後悔もありません。
この手の問題に限らないことですが、ある人と「何となく会いたくない」という時は、心の奥の正直な感覚がそう示しているので、距離を置いてみるのが一番と思います。それを親不孝だなんてピントのずれた批判をする人(例えば親戚とか)いるかもしれないけど、自分に正直であれば、いつか必ず後悔しない日が来るものと思いますよ。

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