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2008-02-24

「戦後思想を考える」 日高六郎 (著)

Book_hidaka1 私はこの本を大学時代に読んだ。そのときは十分理解できたとは言えまい。この本が出版されたのが1980年だから、私が読んだのは初版本だろう。今手元にあるのは、古本で買った12刷。若ぞうだった私は、最初に読んだ時著者の名前を知らず、「どっかで聞いたことあるな〜」という状態。あとで「ああ、『自由からの逃走』の訳者じゃん」と気付いた。

いい本がなくなりやすいこの御時世。この本も今は新刊で手に入らないのだろうか。現在手に入る日高さんの本としては、少青年期を中心とした自伝「戦争のなかで考えたこと、ある家族の物語」があげられる。ここで紹介する岩波の「戦後思想を考える」には、この自伝本の原型となったような章「私のなかの『戦争』」」がある。

日高さんは誤解されやすい人かもしれない。ネット上では、たとえば「極左(って何?)とつながりがある」とか、「中国の反日感情に理解を示した信じられない日本人」とかいう記述を見たことがある。いろんな批判はあるようだが、個々の点について議論するほどの知識がない。とりあえずこの本の価値を下げるものではないと思う。書物は書物として感じたことを書きたい。書評で著者の過去をほじくりだして論評する人もいるようだが、例えば誰それは◯X組織にいたから全ての著作がダメ だとかいう見方なら短絡的だろう。今回私はこの本を読み直してみて、なかなか深いものを感じた。

戦争体験へのこだわり

私は戦後の生まれだが、子どもの頃は町で傷痍軍人を何度も見た。鳥取にいた頃よく遊んだ海岸近くの丘には、日本の軍用機の格納庫跡があった。しかしその程度の私では、青年期に実際に戦争を体験した日高さんのリアルを、自分に引き付けて読むことは困難である。ましてや今の若者にどうしたら伝わるだろう。

戦争体験をどう伝えるかが日高さんの思考のベースになっている思考の継承、つまり若者たちに「戦争というもの」「戦争の中で考えたこと」をどう伝えていくかという作業において、日高さんなりに感じた困難さと逼迫感が文章から伝わる。

本書に出てくる、終戦前に日高さんが当時の海軍技術研究所に提出した「意見書」は、日本の敗戦、植民地諸国の独立、戦後日本に必要な民主主義的政治体制などに言及しており、当時としては文字どうり命がけの論評だった。戦中の日本共産党の闘士のように投獄されなかったのは、ただ単に敗戦のほうが早く来たから運が良かっただけだったようだ。

哲学者「三木清」の獄死が終戦を過ぎた9月26日であったこと、そのことに最初に憤ったのが肝心の日本人ではなく外国人記者であったことから話は始まる。私はその話を読みながら、戦後まもない頃マッカーサーへの賛辞の手紙を送った日本人女性がたくさんいたという、以前どこかで聞いた話を重ね合わせていた。長いものにはまかれろ的な日本人の群衆心理の陰で、塀の外の誰にも知られずに一人の思想家が獄死したのである。しかも、もう戦争は終っていて1月以上たっていた。

そして、ロッキード事件に代表されるアメリカがらみの汚職疑獄事件が続いた戦後。それが、8.15敗戦のパターンとどうちがうのか?と日高さんは問いかけてくる。我々の日常に巣食う無関心、その上に立ってそれを利用して暗黙裡にすすめられる腐敗。それは戦争に向かったかつての日本人の心理的ベースにもあったのだと。その心理は、戦後の日本人においても大きく変わっていないのではないのか?と著者は問う。

日高さんがなぜフロムの「自由からの逃走」を翻訳したのかという深い理由を、私はこのあたりに感じる。著者のように激しく思考していた青年期に戦前・戦中・戦後を過ごした人にとって、戦前と戦後の違いだけでなく、そのつながりこそが主要な関心事であった。

「管理社会化」への言及

今回読み直してみて、日高さんが「管理社会化をめぐって」と題する章で、私が最近読み直したオーウェルの「1984年」について書いているのに出くわした。日高氏はさすがで、現代はオーウェルが警告したような露骨な管理社会ではなく、もっと民衆の利益を取り込むような手法で管理化が進んできていることを見ぬいている。戦後の高度成長は、国民生活の「豊かさ」という、右派も左派も反論しにくい美徳によって、自分ではものごとをよく考えられなくされた群衆を大量につくり出した、というのが日高氏のおおまかな論点だろう。

「保証されること」が、「管理されること」=「飼い慣らされること」につながるという歴史が、社会主義か資本主義かにかかわらず実際にすすめられてきた。それを乗り越える手段や理論が見えなくても、少なくとも自らの頭でものごとを考え判断してゆく自立した個人が増えていかなければどうにもならない。戦争を体験しその中で思考してきた日高氏のような人ほどそのことに気付いていた。80年に出したこの本で、そこを見抜いていた日高氏の視線は鋭いと思う。

「自由・平等・友愛」という一見古くさい理想

日高さんは、戦前マルクス主義に接近し反戦の意志を固くしたが、日本共産党にはつかず離れずのところで言論活動をしてきたように見える。共産党にとってもよき批判者であったはずだ(共産党はそう思っていないだろうが)。この本の最後にも「水俣から考えること」という貴重な章が設けられているように、日高さんが活躍したのは主に大衆運動の世界であった。

日高さんは、晩年のサルトルが「自由・平等・友愛」という(社会主義者的表現で言うところの)「ブルジョア民主主義的価値」を重視したことに目を向けている。思えば戦後の大衆運動の中で活躍した優れた人達は、みなこの3つの価値、とくに「友愛」を大切にしていた。(追記:日本の総理大臣でこの「友愛」の価値をやたらと強調していた鳩なんとかいう人が居たが、あの人は手段の具体性も無く、理想だけを口にし続けただけなので、かえって「友愛」の意味を潰してしまったと思う。)

かつて原水協代表権問題で、吉田嘉清代表理事を日本共産党が批判して辞めさせようとした時、「吉田君が退場なら僕も退場する」といって共産党を除籍された古在由重氏もそうだった。日高さんも、この前私が拙評を書いた「日本共産党への手紙」の中で、1965年の「8.15記念国民集会」の実行委員会のことを書いている。この時、日本共産党のシンパが、実行委員会のメンバーから野間宏氏をはずすよう要求した。日高氏は吉野源三朗氏らと相談して野間氏排除要求を拒絶した。これもまた日本共産党の思考の狭さを物語る事件だが、この集会でも共産党系の団体が不参加のなかで、まだ共産党員であったはずの古在由重氏は参加し熱弁をふるったそうである。

大衆運動の中で本物の連帯を模索してきた人達の言う「友愛」とは、けっしてうすっぺらいものではない。組織の官僚主義に敢然と立ち向かった人々の、名誉や立場などかなぐりすてた「友愛」である。彼らは「友愛」なくして「自由・平等」が守れないことをよく知っていた。

わたしは、「戦後思想を考える」の119Pにある次の言葉に注目した。

「かつては、労働者の団結を"ひとみ"のように守るということが強調された。私はそれに反対しない。しかし同時に、ひとりの労働者の人権を"ひとみ"のように守る必要を強調したい。団結によって人権を守ることの必要と同時に、団結によって人権を侵さないことの必要を。」

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