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2008-03-30

「中国は社会主義で幸せになったのか」北村稔(著)

Tyugokuha_siawaseka近代以降、特に太平洋戦争前後からの中国共産党の成立とその後の歴史を、社会主義についての基礎的な解説もまじえながらとき明かしてくれる好著。

まず、「中国は社会主義で幸せになったのか?」という設問以前に、そもそも中国は本当に社会主義なのか?この著者の結論は「社会主義の衣を着た封建王朝」とある。

確かに中国共産党は外来のマルクス主義を建国思想のベースに据えた。ただ、私は別に社会主義マンセーな人間では少しもないが、本書に書かれた社会主義中国の歴史的起源を読むとき、今の中国の問題点から即「社会主義=悪」という批判はムリがあるのではないかと考えてしまう(かの政党が同じことを言う時の自己弁護の論理とは違った意味で)。

いろいろ問題があっても、マルクスが今なお研究に値する思想家であるということに変わりない。マルクスの思想がなぜ、現実の世界で民主的な国家の実現に結び付いていないのかという問題は重要だが、現代中国の成立史からこの問いへの深遠なヒントが得られるのか疑問に思えてくる。現代中国は、社会主義国家としては非常に特殊なのではないか。

そもそもマルクスが考えた社会主義と、今の中国とはかけ離れすぎている。それに、レーニンは「民族自決権」という概念を、ことの他重視した政治思想家であったと記憶している。この間のチベット問題に見られる中国の顔は、このレーニンの思想ともほど遠い。結局のところ中国という国は(北朝鮮も同じだが)、民衆のためでないものを民衆のためと偽り、幻想を維持するための「言説」として、社会主義を悪利用してきたにすぎなかったのではないのか。それはひとえに、毛沢東やその後の為政者が原因なのだと考えたくなる。しかしもう一方で、その姿があまりに醜いので、マルクスやレーニンの説にこのような悪利用を許す「穴」があったのだろうかという問いが、読了後の自分の頭の中に再びまわりはじめる。この後味の悪さは、この巨大な欺瞞の国と安易に「理論交流」してしまう「あの人々」には理解できない気持ちだろうが......。

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著者は、孫文~蒋介石の国民党時代の歴史を正しく評価すべきだと書いている。今日の中国を作り上げたのは中国共産党であり、共産党こそが中国人民を解放したのだという現在の中国政府の解釈は一面的であるとも。

この本に詳しく書いてあるように、中国に社会主義への前段階となるべきブルジョア社会が無かったわけではない。しかしそういう可能性はほんのわずかな期間で終り、結局は混乱と群雄割拠の様相に後戻りしてしまう。国共合作の史実も少しも美しくなく、抗日民族統一戦線の期間でさえ、国民党と共産党は腹のさぐり合いと対立抗争を繰り返す。

孫文の三民主義を継承発展させるとした毛沢東の「新民主主義論」は、易姓革命が伝統の国であるための便法でしかなく、本来の民主主義など端緒から考えてなかったことは、内戦時の農民からの収奪や文革の小型版といわれるような事態があったことからもうかがえる(P125、延安での「整風運動」)。
またこの本に書かれた、この時期のソ連の役割も面白い。ソ連はかなり長く国民党を支援していた。ソ連とコミンテルンが、中国共産党を見捨てたような形で歴史が進行していく。同時に中国共産党もソ連と距離を置くようになる。延安での「整風運動」の結果、共産党内の親ソ派は追放され、中国共産党は毛沢東思想を党の指導原理とするようになる。マルクス主義の中国化と言われ、今日の中国政府による歴史観でも美化される毛沢東思想が、マルクス主義であるとは思えないのだが。

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日本軍の侵攻がもたらした影響には、中国共産党にとっても好悪両面がある。延安のような田舎に拠点を構えた共産党は、都市部で日本軍と対決した国民党ほどの打撃を戦時中受けなかった。戦後中国共産党が台頭できたのも、このあたりの歴史の巡り合わせが大きく、半分は作戦、半分は運がよかったとも言える。

しかし中国共産党の遊撃戦術は支配下に治めた住民を守れない戦術であり、毛沢東軍が遠征した先の農民たちは疲弊していった。結果的に共産軍の主力部隊は、疲弊した小作農と、「遊民」と呼ばれるルンペンプロレタリアートになってしまった。中国共産党の支持基盤は都市部のプロレタリアートではなく、農奴と浮浪者と盗賊や博徒の類を寄せ集めた思想の無い群衆だった(著者は言葉は悪いがこれを「ゴロツキの軍事力」と呼んでいる)。このこと一つをとっても、同じ後進農業国だったとはいえ、労働者と農民を支持基盤としたロシア革命ともかなり違っている。中国革命は社会主義革命というよりむしろ、古代から続く権力奪取劇の一種ではなかったか。

政治家である以前に優れた戦略家であった毛沢東は、「遊民」の持つ暴力を破壊的な力として革命に最大限利用した。この見解は「毛沢東選集」にも書かれていたらしいが、マルクス主義上「ルンペンプロレタリアート」は否定的に捉えられるため、毛沢東自身の記述が削除されているそうだ(P109)。
この事実は非常に興味深い。栄光ある中国共産党の歴史のためには、創始者の意見ですら改変される。「現在を支配する者は未来を支配するだけでなく、過去を書き換えることもできる」(オーウェルの「1984年」) 。必要なのは毛沢東という現実に存在した個人なのではなくて、中国国民に党の理想を見続けさせるための幻影。天安門に掲げられた毛沢東の肖像は、やはり一つの象徴=「偉大なる兄弟があなたを見守っている(BIG BROTHER IS WATCHING YOU)」でしかない。

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頭で立っていたへーゲルを足で立たせることによって、絶対知へと上昇する観念論をマルクスは実践的史的唯物論へと高めた。しかしその際、マルクスの哲学の内に、単一の絶対的真理を希求してゆく不可逆的な運動が内包されたというとらえ方もある。そのとき思想に潜在された契機がどんな問題をはらんでいるのかを、マルクス自身は書かなかったし、書きえなかった。マルクスの死後、その契機は恣意的に解釈され、全体主義の萌芽へと変質してゆく。変質させたのは、スターリン以降の社会主義政治指導者たち。毛沢東もその代表であると思う。求心していく先にある真理が、個人崇拝となったとき、法による統治もなにもなくなる。

法律や議会ではなく、指揮官とその時々の会議がものごとを決めるというのは、戦闘を遂行中の前線現場の考え方である。本質的に権力戦争の繰り返しの中から強くなった中国共産党では、この思考形式がそのまま国家成立後も続いたようだ。そこには、ブルジョア社会から受け継いだ民主主義や人権、法による統治という考え方自体が希薄。それをP29にある毛沢東の言葉が端的に示す。

「法律に依拠して多くの人を治めることはできず、習慣の養成に依拠しなければならない。......憲法は私が参加して制定したものだ。しかし私は記憶していない。......我々の毎回の決議はすべて法律である。会議も法律である。治安条例も習慣を養成してこそ遵守される。......我々の各種の憲章に基づく制度は、大部分、90パーセントは関係当局が作ったものだ。我々は基本的にはこれらに依拠せず、主として決議と会議に依拠する。......民法と刑法に依拠せず秩序を維持する。人民代表大会と国務院の会議は、人民代表大会と国務院の会議であり、我々は我々のものに依拠するのである。」

こうして法も議会もなく、崇拝された指導者だけが恣意的に政治を操ることができるようになる。これは封建主義時代の皇帝の論理であって、やはり社会主義と呼ぶことはできないだろう。

毛沢東個人が法を恣意的に決定できるようになったその時、何がおきたかを示すのが、結局「プロレタリア文化大革命」であったと思う。農村に基盤を置いてのし上がった中国共産党は、都市部の知識人階層とその家族を徹底的に弾圧・虐殺した。国民党支配以前の中国において、大学などに進学できたのは当然富裕な階層であったので、「知識人=プロレタリアートの敵」というすさまじく短絡した図式が、人々の脳に擦り込まれた。
知識人を弾圧したことは、経済・科学文化の発展にとって取り返しのつかないダメージであった。この時代の中国社会の低迷は、発展を続ける現在の中国の背後でも大きなキズとなって残り続けている。

この本では「文革」にそれほど多くの紙面を割いていないが、あの悲劇を一つの章にまとめろと言うほうがムリだろう。「文化大革命中の地方レベルの死者は、少なくとも200万人を突破していた。」「出身階級を人種に置き換えれば、ナチスによるユダヤ人虐殺と同様の事態であった。」といった本書の記述を噛みしめよう。毛沢東個人を否定するのは簡単だし、今日の中国共産党は「文革」批判を経ている。しかし、ヒトラーの肖像を首都の広場に掲げるドイツは想像できないが、中国は同じ意味のことが続いている不思議な国なのだ。そしてそれを洗脳された民衆が支えてきたという側面。

文革批判以後に殺人事件として追及された犯人のうち、子供を殺した被告が尋問されて言った次の言葉(P224)。(※前後の文脈が分かりずらいので、括弧内など元の文に少し書き加えた)

被告は言う。

「(殺された子どもも含めた)彼らは、われわれを搾取した階級敵ではないのか」と。

そして「子どもたちは搾取したことはなかったぞ」と反論されると、

「人の心は死なないものだ。(今は子供でも)遅かれ早かれ権利を回復しようとする(だから殺したのだ)。毛沢東主席のいったことのどこが間違っているのだ。」と。

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国民党支配が続いていたら、もっとましな国となったのだろうか?

その点についての著者の見解は微妙である(P232)。ただ資本主義を取り入れてインフラの整備に明けくれる今日の下部構造が、もっと早くから出現していたのではないかという意見は納得できる。ただし、汚職とワイロの国である。はたして国民党が民主的な国を作ったかどうかは期待できない(わが国もその点では多くの問題を抱えるが)。

結論として、現在の中華人民共和国は、資本の権利を守る法でさえ未整備のまま今日まで来てしまった。まして民主主義や人権を守るための法整備など未発達もいいとこだと言う。社会主義のいきずまりを打開するために資本主義を部分的に取り入れてみたものの、食品問題や公害などそこからかえって矛盾が吹き出しているのは、誰の目にも分かる時代になった。本当なら今だからこそ解決していかなければならないはずの、

民主的権利や資本に関わる諸問題を解決しようにもその土壌がない。

中国共産党のやってきた政策は、結局マルクス主義の諸政策であったわけでもなく、

政治主導で社会の下部構造をむりから変更してしまえば社会主義国家になるという、思い込みと言ってもよい机上の空論

例えばそこからもたらされたのが、著者の言う「農村の生態系の破壊」であったりするわけだ。今日のチベット問題も、中国の考える近代化という机上の空論を、人権や土着の文化を無視して押しつけてきた結果とも言えるので、問題の根は共通している。

しかしどんなに矛盾が吹き出そうとも、中国共産党は一党独裁という体制を捨てることができない。中国政府はますますその体制に固執していくだろうし、吹き出した矛盾を共産党の力でおさえつけていくことしか方向がない。

それでは中国社会の矛盾はますます深まるだろうが......。

残念ながら本書は、ここ最近の中国の状態に対してタイトルの問いをぶつけた詳しい論評にまでは至っていない。そこを書いてこその感もあるが、どのみち新書一冊に詰め込めるテーマではなかっただろう。著者の次回作に期待したい。

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