« 以外と身近な場所にあった拉致問題 | トップページ | 朝鮮人帰還事業と戦後の日本共産党 »

2008-06-15

北朝鮮をめぐる2つのニュース (2)

6/13日にあった、もうひとつの北朝鮮がらみのニュースはこれ。

在日朝鮮人の帰還事業で、夢を見て北に渡った人達。

貴重なニュースゆえ全文こぴぺ〜w

多くの在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った帰還事業の開始からまもなく半世紀。大々的に宣伝された「地上の楽園」とかけ離れた生活を強いられた脱北者の千葉優美子さん(47)が13日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)への提訴に踏み切った。帰還者の中にはいまだ安否すら判明していない人が多い。支援者は「訴訟を機に救出活動の関心を高めたい」としている。

千葉さんは提訴後、大阪市内で記者会見。朝鮮総連について「人をだまし、組織的に誘拐した。人権と自由を無差別に奪った悪魔みたいな団体だ」とたどたどしい日本語で批判。「私1人の問題ではない。今も強制収容所の中で必死で生き延びようとしている人がいる」と涙ながらに訴えた。

よくNHK特集とかで見てきた在日朝鮮人帰還事業問題の映像。岸壁の見送り親族からたくさんのテープが投げられ、日本から出航する船の映像は白黒だったから、朝鮮戦争さえリアルタイムでは知らない我々にとっては、戦後間もない昔の出来事というイメージが強かった。実際には帰国船の第一便は1959年だが、この千葉さんが北に渡ったのは63年、よく考えてみれば自分が小学校に上がるか上がらないかの出来事で、千葉さんは私より少し若く妻と同年代(年ばれか!)。拉致問題と同じで、団塊の世代の一回り下にあたる我々にとって、けっして縁のない時代の話ではない。

Kikokujosei千葉さんは昭和38(1963)年10月、両親ら家族7人で新潟県から北朝鮮に向けて出航。「何の心配もなく生活できる」と朝鮮総連構成員に説得され、両親が帰国を決断したという。

船が北朝鮮の清津に着いたとき、10代半ばだった兄は、人々のやせ細った体つきやみすぼらしい服装、老朽化した建物などを見て落胆し、「日本へ戻りたい」と訴えた。このため北朝鮮当局に連行された後、強制収容所に送られ、1971年に死亡。父もスパイの疑いで収容所送りとなり、拷問を受けたという。

帰国者が北朝鮮に着いて案内された農村の惨状を見て「地獄に来た」と思った話は聞いていたが、この女性の話を聞いていると、向こうに着いてからの北朝鮮側の対応が想像していた以上にむごい。「暮らしがひどい、話が違う、帰りたい」と口にしただけで強制収容所送りだったということだ。文字どうり地獄への片道切符。

千葉さんも96年、外貨稼ぎをめぐって処罰された帰還者の知人男性に金を貸していたとして責任を問われ、山中に追放を命じられた。「もううんざりだ」。すでに結婚して長男と長女の子供2人がいたが、脱北を決意し2000年11月、子供らと中国側に脱北。しかし、03年に強制送還され、収容所に入れられた。約5カ月間ろくに食事を与えられず、殴るけるの激しい拷問が続いた。

「地上の楽園」どころか生き地獄のような日々。「死んでも北朝鮮から脱出する」と決心し、一時的に釈放されていた03年11月、長男と一緒に脱北、中国に残っていた長女とも合流して日本に入国した。

日本に住む脱北者の中には親族らを北朝鮮に残してきた人が多い。千葉さんの家族もまだ北朝鮮にいる。今回の提訴で実名を公表したことで、さらに迫害を受ける可能性もある。脱北者を支援する「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の山田文明副代表(大阪経済大准教授)は「帰還者救出は停滞している。この状況を打破するため、千葉さんは相当の覚悟で提訴に踏み切った」と話した。

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」とは、このあとで述べる萩原遼氏もその結成に尽力した団体である。同じ内容だが産経の別の記事から

帰還事業をめぐっては平成13年、韓国在住の男性が朝鮮総連に損害賠償を求める同様の訴訟を東京地裁に起こしたが、脱北から約40年が経過していたため「損害賠償請求権が時効で消滅している」として棄却、敗訴が確定している。

賠償請求権は損害や加害者を知った時点から3年間行使しないと消滅するが、千葉さんの代理人の弁護士は「千葉さんは日本入国後3年が経過しておらず、時効にはあたらない」としている。

帰還事業の矛盾は、北朝鮮と総連が関与し、当時の日本政府も在日朝鮮人の数を減らす対策として奨励していた。戦後の日本は、700万人もの引揚者や失業者で溢れかえっていた。人口削減のために国が移民政策を積極的に推し進めた時期があったのだ。50年代の「ドミニカ移民」をめぐる訴訟もあったように、かつての日本政府は日本人にすらウソをついて、棄民政策といっても過言ではない政治を行っていたのだから、当時在日朝鮮人にいかに冷たかったかが想像できる。

また後で言うが、この帰国事業が熱狂的に行われた背景には、日本の共産党の大衆運動面での誤りが大きく影を落としている。いろんな意味で、大小の組織が関与した心無き妄動だったのである。そういう点では、今もこの脱北した人達が、3年で無効となるような「賠償請求権」で訴えなければならないその法的現実そのものに私は矛盾を感じる。

在日朝鮮人の帰還事業に関して、朝鮮総連が深く関与してきた歴史をおさえておくことは重要である。若い人達も上記ニュースの手短な解説を読んで欲しい。

【帰還事業】戦前に徴用されるなどして戦後も日本に残った在日朝鮮人らが国交のない北朝鮮への帰還を望んだため、昭和34年2月の閣議了解に基づき、日本と北朝鮮の両赤十字社が共同で開始した事業。朝鮮総連は帰還を奨励した。59年までの間に約9万3000人が北朝鮮に渡り、このうち日本国籍を持つ日本人妻や子供らは約6800人とされる

今回の女性の訴えに対する朝鮮総連側の応え方が、またステレオタイプというか、KYというかえげつない。

「同じような訴えを棄却した判例が既にある。今回の訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外のなにものでもない」

ふりかえれば、総連の反応はいつもこうだったが、こうした文脈でいつも「同胞」という言葉を使うのは、まさにこの脱北女性のような被害者に対する強迫そのものではないだろうか。北朝鮮・総連にとって日本に住む「同胞」は「人質」という価値を持つわけだ。

« 以外と身近な場所にあった拉致問題 | トップページ | 朝鮮人帰還事業と戦後の日本共産党 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/120253/41536954

この記事へのトラックバック一覧です: 北朝鮮をめぐる2つのニュース (2):

« 以外と身近な場所にあった拉致問題 | トップページ | 朝鮮人帰還事業と戦後の日本共産党 »

aBowman

別荘はこちら

  • Marbles2
    音楽、美術、映画、本など趣味的なページはここに移転しました。考えるのが面倒だったので、タイトルは単に2です。

ウェブページ

2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

mail

  • 82pkdick@gmail.com

最近のトラックバック

無料ブログはココログ