以外と身近な場所にあった拉致問題
拉致被害者の中に、松本京子さんという方がおられる。政府の拉致問題対策本部HP
(http://www.rachi.go.jp/jp/ratimondai/yokuwakaru/vol3.html)によれば、
松本京子(まつもと きょうこ)さん(当時29才)
昭和52年(1977年)10月21日、鳥取県米子市にくらしていた松本京子さんは、自宅から近くの編み物教室へ向かって外出したまま消息を絶ち、北朝鮮に拉致された。
また、政府のHPに載っていないので認定されていないのだろうが、昨年「拉致の疑いが濃厚」として鳥取県米子市の漁業、矢倉富康さん(失跡当時 36才)の件を、両親と特定失踪者問題調査会が容疑者不詳のまま米子署に告発状を提出したというニュースがあった。調査会によると、矢倉さんは昭和63年8月2日夕、鳥取県の境港から1人で出漁したまま消息を絶ち、同月10日、竹島沖で船だけが見つかったという。
- 「北朝鮮の拉致」と告発 米子の矢倉富康さん家族 (産経:2007.10.31 10:12)
米子・境港周辺での失踪事件で、北朝鮮による拉致ではないかと思われるケースは、他にもいくつかある。松本京子さんが拉致された1977年と言え ば、僕は高校を卒業した直後ぐらい。横田めぐみさんが拉致されたのもこの1977年である。認定された被害者の方たちが拉致されたとされる日時は、77 年〜83年あたりに集中しているようだ。
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増加する境港の北朝鮮交易船
ここ最近のことに話を向けよう。
一般にはあまり知られていないことなのかもしれないが、鳥取県境港に入港する北朝鮮との交易船はここ数年で大きく増えている。
もともとの原因は、水産加工場が輸入に依存する傾向にあること以外に、例の北朝鮮の貨客船「万景峰92」の入港に関連して世間の注目を集めた舞鶴港を、北朝鮮籍の船が避けたことがあるらしい。
また、06年の北朝鮮の核実験に伴う日本政府の制裁以降、入出港が禁止された北朝鮮船舶にかわり、ロシア船が北朝鮮と日本の間を行き来するようになった。このロシア船に乗せて、中古自転車やトラック、バスといった品目の輸出が伸びているという。今や境港は北朝鮮との交易については、日本で最大量の物流を扱うようになった。
日本の境港、対北朝鮮輸出に活気づく(中央日報 2008.01.22)
日本の西海岸、鳥取県境港は、昨年から自転車や冷蔵庫などを山のように載せた貨物船で活気づいている。
目的地は北朝鮮の元山(ウォンサン)。船舶はロシア国籍の貨物船だ。北朝鮮の船舶が2006年10月の核実験以降に入出港が禁止されてから、ロシアの船舶が北朝鮮と日本の交易に利用されている。
この船は排水量2000トン級。制裁措置の前は北朝鮮の貨物船が200~300トン級だったことを考えると貨物の輸送能力が約10倍 に増えたといえる。1回に積み出す自転車は従来の300台水準から6000~1万台に拡大した。これにより北朝鮮へ向かう船は毎月10隻から1、2隻に縮 小したが、運送量は逆に2倍ほどに増加した。日本経済新聞によると昨年このように入港したロシアの船は合わせて17隻にのぼる。輸出品目は主に中古自転車 のほかに冷蔵庫などの家電製品、トラックやバスなどの商用自動車、衣類用の生地など値段がかなり高い品物なども少なくない。日本の外務省関係者は「党幹部 の手に渡る高価な食料や資材、酒類、貴金属などは制限しているが、基礎的な生活必需品は例外的に輸出を許可している」と述べた。
これまで北朝鮮に向けた輸出は新潟県の新潟港と京都の舞鶴港で主に行われていたが、北朝鮮への制裁ムードにより自制している間に、 境港が北朝鮮への新しい輸出港として浮上したのである。境港は1892年朝鮮との貿易拠点港を目指し、元山との定期航路を開いたこともあり、韓半島との貿 易に深い関心を見せていた。境港の輸出業者は「北朝鮮は輸入した品々の多くを再び中国に売る」と明らかにした。北朝鮮は自転車1台当たり2500円で輸入 し、修理してから中国に4000円から5000円で売っている。船で運搬作業をした日本の輸出業者も700万~800万円の利益を中国から受け取る。昨年 1月から11月中に北朝鮮へ輸出された日本製の中古自転車は10万8420台、トラックとバスは126台に達し、金額は10億円近くなる。
単に境港を通じた北朝鮮への輸出が伸びたというだけでなく、北への船を敵視するための地元の漁民とのトラブルなども起きているらしい。平和だったはずの日本海側漁村だが、思わぬところに国際政治の影響が見えかくれする。
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話を昔のことに戻そう。
わたし自身の個人的なことを言うと、もともとは大阪の生まれだが、親の転勤の関係で中学・高校と鳥取県は米子で過ごした。家の近くが日本海で、しょ ちゅう遊びに行っていた。鳥取というと砂丘だが、鳥取砂丘まで行かなくても、あのあたりの海岸沿いの道には防風林が多くあり、海岸まで続く小さな砂丘状の 地域がたくさん見られる。今では沿岸の道路も整備され交通量も増えたが、昔は境港まで続く単線の電車が走るだけの淋しい場所だった。自分は米子の高校に 行ったが、中学時代の友人は境港の高校へ行ったりで、境港にもよく泳ぎに行ったものだった。
境港は漁港なので船も人も多いが、ちょっと港の脇に入ると人の居ない場所がある。ただ境港沿岸は岩場なので海岸の形状を知らない者がこっそり忍び込 むのは少々やりずらいかも知れない。対して米子の「弓が浜」という海岸は、岸から途中まで遠浅でありながら、少し沖に出ると突然深くなる。その深みに蛤を よくとりに行った(今考えると違法かなw)。そこは形状的に小さな船を停泊しやすく、泳いで岸に上がるのはたやすい。今は深みが埋められ海水浴場になって いるらしいが、昔は海底がこういう浅瀬と深みを合わせた危険な形状だったので遊泳禁止だった(オレは禁止なのに泳いでたが...)。30年以上前だとほと んど自然のままだったので、人気のない淋しい海岸だったわけだ。(写真は弓ヶ浜海岸から日本海を見た様子)
その境港と米子の近辺で何人かの方が拉致されている。高校の頃、自分もよく行っていた境港や弓が浜の海岸でそんなことが、しかもあの時期にあったの だということに驚く。弓ヶ浜から境港の裏側につながる海岸にも人気の無い場所があり、よくそうした場所の海岸近くの小山を登って、境港の岩場海岸に降りた ものだ。人気のないあの淋しい海岸は、北朝鮮の工作員にとって、こっそり日本に忍び込む恰好の場所だったのだろうか。ふるさとの海を思うと、そんな事実に 突き当たるというのは不思議な気持である...。
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