« 自殺した母親を殺人で書類送検 | トップページ | 銚子市立総合病院がえらいことになってます (1) »

2008-08-15

終戦の日に

太平洋戦争の敗戦から63年目になる。

今年も右から左まで、各種記念式典が行われ、またいつもの決着のつかない議論がされるのだろう。福田はん は靖国参拝をしないそうである。怒られそうだが、個人的には総理の参拝や日の丸、君が代の是非はあまり関心がない。今どき国粋主義もアナクロだし、かと いってうるさい日教組系の事件を聞くと、君が代ぐらい唱ったっていいじゃないかとも思う。

ただ、私はやっぱり戦争には反対したい。これには今は亡き母親の影響が強くある。子供の時、何度も何度もある話を聞かされた。いわゆる学徒出陣の話だ。

日本の総人口に占める戦後生まれは7割を超えたそうだ。

困ったことに国会議員の年齢構成も同じような比率に変わってきている。終戦記念日のこの日を1面に載せない大手新聞が増えている。8月15日ですら戦争のことを話題にしなくなり、戦争を語ってくれる体験者がどんどん減っている。子供のころ母から戦争のことを何度も聞かされた私などの年代は、まだいいほうなのかもしれない。

----------------------------------------------------

私の母は共産主義国ソ連がすこぶる嫌いだった。「ソ連は終戦間際のどさくさにまぎれて領土を奪った汚い奴等」が口ぐせだったが、こういう感覚を持っている年寄りは非常に多いと思う。しかし、ならば戦争をしかけて北方領土を奪い返せとは、母はけっして言わなかった。

今はJリーグの試合で賑わう明治神宮外苑の国立競技場。そこで昭和18年(1943年)10月21日、戦地に赴くことになった 25,000人の学徒出陣壮行会が行われた。その様子を伝えてくれる資料がある。

最近は、YouTubeでもその頃文部省が作った宣伝映画を見ることができる。

Gakuto これらを見ると、想像していたより大規模な式典であったようだ。出陣する兵士の数もさることながら、支援壮行に駆けつけた人々の数(50,000人)には恐れ入る。

母が語った大阪のある事件の日付は、この壮行会の時期よりかなり後のことである。大阪大空襲と関係しているので、母が語っていた話は、戦争末期のものと思われる。大阪市内にあった母の実家は、その大阪大空襲で焼けてしまった。空襲は夜間が多かったそうだから、散発的な小規模の学徒壮行会が、夜にもあったのだろうか。あるいは、散発的な敵機の来襲は、昼間でもあったのだろうか。詳しいことはわからない。

学徒兵から特攻に行った人もいたので、おそらく学徒出陣は終戦まで何度か行われ、都市部では、神宮外苑のものほど大規模ではなくとも、何らかの式典がその都度行なわれたのだろう。各地からその式典に向かって出発する学徒兵たちへの見送りの式があったのだと思われる。これは想像だが、おそらく戦争末期になると、大規模な式典をやる余裕もなく、地域ごとに行われた学徒兵の戦場への出陣激励会が、そのまま小規模な学徒出陣式となったのだろう。

当時女学生であった母は、大阪市内のそうした式典に参加した。4列の長い長い列となって並んで行進していくまだ若い学徒兵たちを、たくさんの人達が日の丸を振って見送ったのだとか。歓声の中、目の前を通過していく学徒兵たちの進行方向が、ゆるやかな下り坂になっており、その先に列車のガード下があった。学徒兵たちがガード下にさしかかったその時、にわかに空襲警報が鳴り響き、何発かの爆弾のうち1発がまともにそのガード下に落ちた。学徒兵たちの列の中団が、まさにそのガード下にあった。

あたりは血の海と化し、煙が少し晴れた時、累々とした兵たちの死体がそこに積まれていた。逃げ場の無かったガード下の学徒兵たちは皆、その場で死んでしまった。まだ20才になったばかりの若者たちは、戦争にも行かず、ただ招集されただけで人生を終えた。

「私はあの日見た地獄のような光景を忘れられへん。敵にとっては、これから戦地に出かける兵隊さんを、まだ前線に行かん芽のうちにつみとってしまったほうがやりやすかったんやろうな。お国の為などといっても、死んで手柄をたてるどころか、何もしないうちから人は殺される。大義名分なんて形だけのものよ。戦争はそれほど酷いもの。戦争はほんとに虚しいよ。」

これが戦争の話をする時の母親の口ぐせ。まだ小学校低学年のうちから、母に何度も何度も何度もこの話を聞かされて、僕の心の中にはすっかり反戦への思いが育ってしまった。

自分が戦争を知らないどころか、自分の親もまた戦争体験者ではないはずの、日本の若い皆さん。もし、おじいちゃん、おばあちゃんが居て、戦争の話をしてくれるのなら、きっとそれはいつもいつもおんなじ話の繰り返しでうんざりするのかもしれないけれど、大切に聞いてあげようよ。それは2度とあってはならない貴重な体験談。いずれもう誰も戦争の体験を直接は話してくれない日が来る。本やネットの文章や映画の中にしか戦争が出てこない、そんな日が来るのだから。

« 自殺した母親を殺人で書類送検 | トップページ | 銚子市立総合病院がえらいことになってます (1) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/120253/42171913

この記事へのトラックバック一覧です: 終戦の日に:

« 自殺した母親を殺人で書類送検 | トップページ | 銚子市立総合病院がえらいことになってます (1) »

aBowman

別荘はこちら

  • Marbles2
    音楽、美術、映画、本など趣味的なページはここに移転しました。考えるのが面倒だったので、タイトルは単に2です。

ウェブページ

2018年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      

mail

  • 82pkdick@gmail.com

最近のトラックバック

無料ブログはココログ