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2008-12-02

『20世紀少年』

  • 『20世紀少年』浦沢 直樹 (著)

20cboys 初のコミック評。振り返ればけっこう読んでます、マンガ。

特に浦沢直樹ものは、『ビッグコミックオリジナル』で連載してた『MASTERキートン』が好きだったので、いくつかはまりました。

この『20世紀少年』も読み出したらやめられなくなって、全部で22巻もあるのを次々買ってあっという間に読んでしまった。そんな頃、NHKの番組でマンガ家浦沢直樹の舞台裏を取材した番組があり、22巻の続編が出ず、雑誌の連載も一時中断している原因が、作者に過重な負担が重なって体を壊してしまったからだと知りました。正直人気マンガ家って、辛い仕事だな〜と。

で、連載再開でラストのタイトルがなぜか『21世紀』になって上下巻で出たと。

正直結末は失敗なんじゃないでしょうか? 「ともだち」の正体は、クラスで一番目立たなかった「あいつ」ってことになり、それが途中で死んで、実はもう一人の「もっと思い出せないやつ」に途中か ら入れ替わってましたって筋書きも、何だかしんどくなってきたんだけれど、それより反陽子爆弾とかいった、我々には危険の実感できないもので盛り上げよう としたところが、かなりムリがあったんじゃないかな。

できることなら『モンスター』のラストみたく謎めいて、クラスの目立たない「あいつ」の心に巣食って いた、残忍な心理が、大人になるにつれて巨大な悪に成長し、人類を滅ぼすみたいなほうが、ありきたりのようで、描きようによっては深い面白いものになった んじゃないかなと思いました。

一方このマンガのいいのは、浦沢さんの年齢がちょうど僕らのオジさん族に近くて、子供時代に空き地に作った秘密の基地とか、かなりなつかしい匂いがするとこ ろ。「よげんの書」とかも、そういやそれに近いこともやったな〜と。さらにタイトルのベースになってる、T-REXの「20th Century Boy」なんかも、1970年代の大ヒット曲で、僕はよく聞いた年代なわけです。若い人達はそこは感覚的に違う受け止め方があるだろうけど、オジさんたち には、どこかノスタルジアがあるコミックでした。

今、映画になったんですね。んー、3部作ねー。唐沢寿明主演ですか。来年に続編が公開だそうですが、正直、映画館行ってまで見る気はありません。唐沢くん じゃケンジのイメージないし、DVD出たらツタヤで借りますw だいいちロード・オブ・ザ・リングじゃあるまいし、邦画で3部作なんて成功するんでしょうか? それになんといっても実写映画化がどうもねー。このコミックはやっぱり、作者も崇拝する大友克洋大先生のようにアニメでバリバリ作って欲しかったなー。


話はちょっと逸れますが、このマンガにはちょっと気になるウラがあります。

「あの時代」を知ってる年代は誰でも連想することですが、このコミックの筋書きのベースにあるのは、あの超有名な宗教団体ですよね。

コミックでも映画でも音楽でも、最近のは全て数人の中心メンバーがプロジェクトとして企画していくそうです。このマンガも製作途中で何度も何度も会議をしながらストーリーを練り上げていったらしい。実際その様子は、先に言ったNHKの番組でも、メイキングとして出てきました。もちろん最終的な結論は、作者である浦沢さんが決めるわけですが。

おそらくは、オウム真理教の事件をヒントにしているというだけでなく、そのプロジェクトメンバーで、当時のオウム事件のいろんな記事の調査をやってると思います。まあ調査と言っても週刊誌や雑誌のレベルだとは思いますが、あの頃の些細な見落としがちなニュースや記事ネタから、プロットの中で使うキーワードや象徴的事件をいろいろ細かく拾って選んでいるように思えるのです。

例えば細菌兵器で犠牲者が血を吹き出しながら死んでゆく様は、あきらかにサリンを連想させるし、UFOで空から細菌をバラまこうという発想については、実際オウムの場合、ロシアから買ったヘリコプターで東京にサリンをバラまく計画があったというウワサもあります。

そして何より決定的なのは、この『20世紀少年』で教祖「ともだち」が何度も何度も口に出す殺人命令を意味する「あの暗号」でしょう。「あの暗号」は、「ともだち」が考えた宗教国家が、自分の考えた教義に従う者だけを囲い込む統制社会だということをとてもよく表現している。作者と製作チームが、その「暗号」をかの有名な宗教人類学者のある一言から拾い出したのだとすれば、その着想はとても面白いと思いました。

サリン捜査の前にオウムを脱出した高橋英利という元信者は有名です。「オウムからの帰還」という著書があったと記憶しています。宗教学者である島田裕巳氏の著作「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」の中に、中沢新一とこの高橋英利氏のやりとりが出てきます(P57)。

今でも人気のある学者、中沢新一は、オウムの経典の一つである「虹の階梯」の作者でもあり、オウムの残党からはひどく信頼されて「影の教祖」的存在だそうです。「中沢新一批判...」の中で引用されていますが、高橋氏と中沢新一は、当時雑誌「宝島」などをきっかけにして何度か話をしている。高橋氏は自身が入っていた宗教があのような事件を起こしたことについて、「人を救うはずの宗教がなぜ」という本質的な疑問をどうしても中沢に問いかけたかったのだろうと思います。

その問いに対して中沢は、「宗教とは狂気を持っているものなんだ。そのことに高橋君は気づかなかったの?」と返しています。別にこの言葉には何も問題はない。確かに宗教がからんだ陰惨な事件は世界中で起きてきた。しかし別の機会に、中沢新一はさらに踏み込んで高橋氏に次の奇妙な問い掛けをしたというのです。

サリン事件の被害者が、一万人、あるいは二万人だったら別の意味合いが出てくるのではないか

オウムがサリンを使って狙っていたのは、権力奪取ではなかったかと言われています。このあたりの中沢の言葉を、『20世紀少年』の「ともだち」のイメージと重ねると、奇妙に響きあうのが不気味です。

我々にはこの中沢の発言は、サリン事件をどこか価値あるものであるかのように見る奇怪なもの言いに聞こえます。中沢が言わんとしたのは、事件がもたらす「霊的磁場の劇的な変化」というような、常識人には考えられないサリン事件の「価値」なのですが、それはあたかも「もっと犠牲者が出ればあの事件の効果は変わってきたのでは?」というような、不気味な想定に聞こえます。詳しくは島田氏の著書を参照して下さい。

結局、中沢は高橋英利に、そうしていろんなふうに解釈できる不可解な言葉で問いかけ、高橋氏に意味深なことを考えさせようとした。しかし高橋氏は中沢に反発していったわけです。その後、納得のいかない高橋氏は、後日何度も中沢の真意を直接、あるいはメールなどで問いかけたりしたが、中沢は返事をしなかったと。

そしてある日のこと。

高橋氏が最後のメールで中沢に問いかけた翌日だった。中沢新一は高橋君に電話をかけてきて、こう申し渡すのです!

Tomodachi_2

 

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