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2008-12-26

加藤周一氏 〜"言葉と戦車"ふたたび〜

ETV特集で「加藤周一 1968年を語る〜“言葉と戦車”ふたたび〜」という特集があった(12/14(日) 22:00 〜 23:30 NHK教育)。 昨年放送された「城山三郎・昭和と格闘した作家」(第191回 2007年8月12日(日))も良かったが、ETV特集にはNHKの番組にしては良質なものが多い。今回のものも見ごたえのある内容であった。

評論家の加藤周一氏は、12月5日89歳で亡くなられた。自由と民主主義について考え続けた戦後を代表する知識人であった。

番組は、加藤氏が入院直前の今年夏「どうしても語りたいことがある」と、病をおして2日間のインタビューに応じたというもの。中心となるテーマは「1968年」。

東大安田講堂封鎖」は69年。日本では70年安保闘争(昭和45年)につながる年だが、日本の1968年は、マスコミによって全共闘運動の負の側面ばかり一面的に伝えられてきた感じがする。対して海外での1968年とは、チェコの「プラハの春」「パリ五月革命」「シカゴ暴動」など、今から思えば若者たちを中心とした社会の民主化運動が世界的同時的に広がった年でもある。

わたし自身は全共闘世代よりも一回り年下なので、正直リアルタイムな実感がない。私の年代にとって、ちょうど小学校高学年から中学にかけてのこの時期は、日本の高度成長が完成に近付きつつあり、国民総中流化などと言われ、日本の文化がアメリカナイズされていく時代であった。その意味で、我々の年代の68年とは、上の世代が持っていた闘争心を受け継がないよう、子供の頃から巧妙に牙を抜かれていった時代であったかもしれない。その証拠に、あの頃一番記憶に残っているのは、夏の日のお昼前にTVに食い入って見たアポロ11号の月面着陸(1969年7月20日)と大阪万博(1970年3月〜9月)であった。

ただし一つだけ中学に入る前にたまたまぶらっと遊びに行ったある大学で、ヘルメットをかぶった学生たちが強烈にシュプレヒコールをあげていた光景をよく覚えている。私が本物の全共闘運動を間近に見たあの大学は、当時の住居から推測して大阪市大であった。今ネットで検索すれば、あの年の大阪市大には、田宮高麿、赤木志郎、森恒夫といった名前が出てくる。

加藤周一氏に限らず、1968年を歴史的な一つの転換期として見る知識人は多い。特に非共産党系のマルクス主義研究者やその周辺の学者が典型的だ。「近代性の構造」を書いた今村仁司もその一人だろう。今村氏と雑誌などで対談していた学者を思い浮かべると、「非転向共産党員の『政治的責任』」を書いた柄谷行人や、理論経済学の岩井克人などの名前が出てくる。全共闘世代では無かった私にとって、68年を知っているそうした人々と時代を共感することはできなかった。ただしもっと後の時代、90年頃ソ連や東欧共産圏が崩壊した時代に、そうした論者のいろんな意見を、ある種の再放送のように雑誌や書籍でよく読んだ。ちょうど自分が日本共産党の組織論に疑問を抱くようになった時期である。加藤周一氏ともそんな時代に著作を通じて出会った。

番組に出てきたが、加藤氏は68年の旧チェコの民主化運動「プラハの春」を体験しに現地に赴いた。そしてその後のソ連軍の侵入の時も、いてもたってもいられずドイツから近隣まで車で近付いたという。その時、世界に救援を訴える地下放送のアナウンサーの声を聞いた。まさに激動の時代のリアルタイムな経験者の一人だった。

加藤氏のような人が願ったのは、人々が自由に自分の意見を述べあえる民主的で知的な社会のあり方だろう。官僚的な社会主義国家の組織論と距離を置いて言論活動していたのは当然である。だから加藤氏らが90年前後の共産圏の崩壊で、再び強く意見したことには必然性があった。前に記事を書いた本「日本共産党への手紙」の中でも、加藤周一氏はこう書いている。

「思うに、マルクスの思想は、真理の体系ではなく、真理への道程であり、本来共産党は正義ではなく、正義への道程であるべきはずのものである。」

「正義への道程であるべきはずのもの」...この言葉の意味を、番組を見終ってまたかみしめると意味深いものがある。

番組の最後のほうで、プラハに侵攻したソ連軍の戦車の映像が何度も流れた。民衆を蹴散らし砲塔を振り回し進むT型戦車。その戦車の兵士に、チェコの民衆が故郷に帰れと語りかけていた。民衆はあくまで言葉で兵士たちを説得して平和を取り返そうとしていたのだという。ソ連軍が最初に攻撃したのは、TVやラジオのメディア関連のビルであった。加藤氏が聞いた地下放送局からの声は、攻撃された放送局から逃げ出し、アジトに隠れながら全世界にプラハの現状を伝えようとしたアナウンサーの声だったという。

番組最後に流れた加藤氏のメッセージは胸に残る。すなわち、

「戦車は言葉を無視し蹂躙しようと進んでいったのでは無かった。戦車は言葉の力を最も恐れていたからこそ、真っ先にその言葉を攻撃し粉砕しようとしたのだ」

と。我々は、戦車をも恐れさせた「言葉の力」が創り出せる力強い未来に希望を持つべきだとも。

加藤氏のように時代に対して明確なメッセージを出せる、深い言葉を持った知識人が最近減ってきているように思う。全共闘の時代と違って、今の若者は自分の閉塞感を社会的なメッセージに托せず、「誰でもよかった」というような自暴自棄な行動に走るのはなぜか。そういう若者たちのエネルギーをプラスの方向に惹きつけられないのは、社会に対して深いメッセージを発信できなくなってきている知識人の責任でもあると、死の直前にそう語っていた加藤氏の姿が強く印象に残った。

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