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2009-05-10

実は、ず〜〜〜っとおんなじことを言っているw

北朝鮮問題に対して、日本共産党がどういう立場をとってきたのかは、実は日本共産党という組織の体質を考える上で興味深いことなのかもしれない。

かつて北朝鮮の労働党と日本共産党は断絶状態にあった。それが不破委員長時代から朝鮮総連と少しずつ親密になったことは周知の事実。今TVなどで小池晃とかが「いやあ、我党と朝鮮労働党は何の関係もありません。長い間断絶してきましたし」といった強調をするけども、実際に朝鮮労働党からの理不尽な干渉などがあって断絶していたのは主に80年代、両者の関係にはその前史も後史もある。

(資料)

また話が長くなるので、とりあえず現在の政策につながる不破時代の資料を書き留めて置く。

この中で「この間に情勢は、大きく変わりました。アメリカと北朝鮮との交渉で、北朝鮮問題はいま平和解決の軌道にのりつつあります。日本国民をはじめ、アジアの各国もこの事態を歓迎しています。」という、何だか明るいくだりがある。これは1999年11月に衆院本会議でおこなった不破哲三委員長(当時)の代表質問だが、年表から考えてこの「情勢の明るい変化」とは、アメリカと北朝鮮の交渉の結果、99年9月に北朝鮮がミサイル発射実験の凍結表明をした件であると思われる。98年8月には、北朝鮮が弾道ミサイル・テポドン1号を発射する事件があった(この際も北朝鮮は人工衛星であると主張していた)。不破哲三の質問は、この後の国際関係の変化を評価してのものであろう。実際、翌2000年10月には、北朝鮮は米国との間で共同コミュニケを交わし、「ミサイル問題に関する会談が継続している間は、すべての長距離ミサイルを発射しない」ことを米側に通報している。

詳しくはこのあたりの記事に出てくる。

こうした日本共産党の自己宣伝PRは、「北朝鮮 不破」をキーワードにGoogle検索かければ容易に見つかる。Googleの検索方法を知らない方のために、あえて(エラソにw)書くと、例えばこんなふうに、「site:」の後に赤旗のURLを続けて検索すればよい。
(北朝鮮 不破 site:http://www.jcp.or.jp/akahata/)

今までネットで多少の資料を読んだ感触をまとめると、日本共産党は、北朝鮮問題の平和的解決のためには、粘り強い外交的努力が不可欠であって、そのためにこそ朝鮮労働党と交渉できる政治的パイプを作れるよう、地道に努力せよ!という考えを一貫して主張している。

しかし日本共産党自身は、背後で総連との関係が復活したりしてきたにも関わらず、朝鮮労働党に影響を及ぼすような力は、全く持てないままだ。共産党という体質上、北の政府に近づくことは、国民目線から見て、問題多き朝鮮労働党と密接な政党であるかのように誤解される。かと言って近づかなければ、何もできない。現在のように近づいている現状でこれなのだから、常に不発弾しか発射できないよう自らを縛ってしまうのが、共産党の宿命なのではないか。

しかし、そこで終わっていては見た目も悪いので、「他人のふんどしで相撲をとる」的な戦略に出る。そこに、ず〜〜〜〜〜〜と続いてきたパターンがあるように感じる。つまり、

  1. 政府やアメリカの努力で北朝鮮との関係が改善したり、北がなんらかの譲歩をすると、前から言ってきた共産党の平和的主張が通ったとか証明されたかのように言う。以前からの共産党の自民党への働きかけが正しかった、共産党が正しい主張をしている時には、自民党も他の野党も見向きもしなかったではないか、それ見たことか....という態度を見せる。
  2. 北朝鮮が問題行動をとった場合は、それなりに(言葉の上では)まともな批判をし、国民目線に立っているかのような姿勢を見せる。

1に関しては、実際、「小泉訪朝」も「日朝平壌宣言」も、自分たちの党の主張の結果であるかのように言っている。2のパターンの典型が、先に見た2006年の談話だ。これが日本共産党の北朝鮮問題に対する2つのパターンではないのだろうか。

今回の国会決議反対に関して言えば、北朝鮮のロケット発射という問題行動なのになぜ反対したのかとなる。これはうがった見方かもしれないが、アメリカがオバマ政権になったことと関係あるのではないか。

米の北朝鮮への外交姿勢に変化が現れ、若干でも米朝の経済交流が生まれた場合、北朝鮮がほしい物資や資金が供給されている間は、北朝鮮がアメリカに妥協的な姿勢をとるだろうとの読みも可能だ。実際歴史的には、北朝鮮はそんな下降と上昇の政策を繰り返して、欲しいものを手にいれてきた。今はミサイルや核で脅していても、近くおとなしくなる日が来る。相手がオバマだもの、その可能性は高い。ならば、その時に、

「ほら見たことか、日本共産党のように粘り強い外交努力を重視していれば、世界は平和に向かうのです。オバマ大統領の平和的姿勢が、我が党の主張の正しさを示しています。あの時ミサイルを非難せず、過剰な制裁は逆効果だと言って決議に反対したのは、我が党だけでした。社民党でさえ、棄権というあいまいな態度しか取れなかったのです!」

こう言えるようにしておこうw ってな感じでしょうか。

要は先の1か2のどちらかのくり返しなのである。ある時は「北への制裁はもめごとをさらにこじらせる。もっと平和的態度で接しろ」と言うが、多少平穏な(というか平行線な)時期が続くと、自分たちの主張は裏付けられたかのように言う。

その後、さらに北が悪辣な態度に出ても、ではなぜ当初の温情な姿勢が相手に通じなくなったのか、そこの分析や党内議論がまともにされないのだろう。これだけ姿勢がウワベでは、当然北朝鮮からも相手にされない。てか、北朝鮮には日本共産党など視野にも入っていない。共産党は拉致問題を早くから指摘していた党であるにも関わらず、日本の家族会からも怪訝の目で見られるのはなぜか、何か外交政策に問題があって国民の信頼が得られないのでは無いのか、そこの解明が党内で全くされていない。

2007年の「北朝鮮への制裁措置延長にたいする日本共産党の立場」と題する志位委員長の談話も同じ性格で読める。ここでは、先のように06年には「北朝鮮を対話の道に復帰させる」ためには経済措置も有効であるとした考えを翻し、逆に「日本独自の制裁措置を継続する合理的な理由はなくなった」としている。その根拠は、2007年10月の六カ国協議で、07年末までに核施設の無能力化と核計画の完全申告を柱とする「次の段階の措置」を行うことに北朝鮮が合意したことである。その後08年には旧式の核燃料施設を爆破するなどの映像がTVでも流されたが、今になってそれらを復活させる話が出ている。先のミサイル騒動後、国連が以外と強い調子で北に警告を発したこともあり、北朝鮮の核問題は悪化の方向をまた取り始めている。核査察団に出国させたり、また新たな核実験のウワサもある。

一時的に成り立つ平和的外向があるのも、それが崩れるのも、両方共にそれが北朝鮮の外交手段にすぎないからである。元からまともに成り立つ話ではないのである。今回のロケット発射は2段目と3段目の切り離しに失敗したとか言われているが、北朝鮮の外向そのものが多段式ロケット、ロシアのマトリョーシカ人形のようなもので、一見好意的に見せておいて、中から悪意が出てくる。しかもその悪意が失敗した後の次の段もちゃんと計算されている。そんなものにまともな政策だけを言っていては、相手にされないに決まっている。心理学者がよく例に出す「自身を泥棒と自覚する泥棒とは会話が成り立つが、自身を詐欺師とは認めない詐欺師とは、まともな会話が成り立たない」ということなのだ。

北朝鮮は日本の共産党が言うような六カ国協議での話合いは、本音では、望んでいない。彼らに見えているのはむしろアメリカとの2者協議だろう。共産党は、だからこそ六カ国協議だという意見だろうが、中国の存在が壁になる。今はオバマが提唱し始めた核軍縮に、少しは耳をかたむけるべき。北朝鮮問題では、アメリカ政府との間に太いパイプを持つほうが、日本の意見を国際舞台に反映させるという意味では、まだしも可能性がある。北朝鮮という相手が相手であるし、複雑で困難な課題で見えない部分が多過ぎるけれど。

ただ、日本共産党の姿勢についてだけなら、私の結論は単純だ。その時々は一見矛盾しているように見えるが、数年の距離で共産党の見解を見ると、実は2つのカードのどちらを強調するか、時局を見て判断しているだけのように見える。だから長いスパンで見ると、先の不破委員長時代から、3年前の志位委員長の談話から、去年の志位委員長の談話から、今年の同委員長の記者会見まで、ず〜〜〜〜〜〜〜〜と同じことを言っているだけなのである。

日本共産党が2つのカードのどちらを使うかを決めているのは、実は日本の共産党のことなど眼中に無い北朝鮮である。だから北朝鮮のコロコロ変わる姿勢に応じて日本の共産党の見解が2つのうちのどちらかに変わっているだけだ。日本共産党に外交的な主体性は無いのではないだろうか。これでさらに影響力のある交渉もパイプも無いのだから、国民の視線が白けていくのは当り前なのである。

今回の国会決議への反対の姿勢についても、こうした視線で読み込むと、単に少数意見も大切にしようだけでは、共産党の場合済すまないことが分かるのではないだろうか。

YouTubeで見れる幹部の記者会見などで、彼らが自分の言葉で喋っていないように見えるその原因も、何となく見えてくるような気がする。

どうも日本共産党が

我が党は、一貫して正しいことを主張してきたのです。」

と言う時、それはつまり、

思考停止

という意味ではないのかと思う今日このごろなのである。


以下06年の「しんぶん赤旗」より抜粋した関連年表。上記不破氏の各種記事と関連させると分かりやすい。

1993年5月 北朝鮮、日本海で弾道ミサイル・ノドンの発射実験

  94年6月 カーター元米大統領訪朝で核問題めぐる危機回避

  95年3月 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足

  98年8月 北朝鮮が弾道ミサイル・テポドン1号発射、日本上空                通過

  99年9月 北朝鮮、ミサイル発射実験の凍結表明

2000年6月 北朝鮮、ミサイル発射実験の凍結継続を確認

    10月 米朝共同コミュニケで、北朝鮮がすべての長距離ミサ                イルの発射 をしないと表明

  01年5月 金正日労働党総書記がEU代表団に対し、ミサイル実                験の03年までの凍結延長を表明

   02年9月  日朝首脳会談で平壌宣言。北朝鮮、03年以降のミサ
                イル発射凍結を表明

     10月  米政府、北朝鮮が濃縮ウランの核開発計画を認めたと                発表

   03年1月 北朝鮮、核拡散防止条約(NPT)脱退を表明

      8月 北朝鮮の核開発に関する第1回6カ国協議

      9月 北朝鮮のノドン基地周辺に車両など集結

   04年5月 日朝首脳会談で、ミサイル発射凍結を再確認

   05年2月 北朝鮮が核保有を宣言

      3月 北朝鮮、弾道ミサイル発射実験再開の可能性示唆

      9月 第4回6カ国協議で共同声明

   06年5月 北朝鮮にテポドン2号発射の兆候。KEDOが軽水炉                建設事業を終結

      7月 北朝鮮、日本海に弾道ミサイル7発を発射


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コメント

北の核爆発が有りましたので、再学習で読みなおしました。ナルほど、成る程と、
10代の頃、1960年代、大阪での千里馬(チョンリマ)展、バス出して行きました。機械工でしたから、北朝鮮の倣い旋盤に興味があって、今でも覚えています。
頑丈かつ厳つかったなー。当時、工場ではでは三菱エリコンやった、函館に亡命して来たソ連のミグも厳つかったけど。それはおいといて、

朝鮮労働党の外交力、強かな知恵とか、絶えず言われていますが、何で、その知恵が国民生活の向上に向かわんのんか何時も不思議ですが、共産党の持つ宿命的なモンかなーと。

日本での共産党は、きっと指導者たちの望む完成度が高くなっているという事でしょう。ダイナミックな活動家が消去されて行く、と言う事かな。

現実政治の中で、現場実践から完全逃避した指導部が、完璧理論を発信しても指導部の自己満足だけ、クソの役にもタタンと言うのが証明され尽くしているのになー、、
アンタ、それでエーのん、と外から言ってみても、「完成度の高い」彼らには理解のしようが無いのかな、何とも言いようがない。

それに付き従う下部党員たちというのも、まか不思議な人々に見えますが、何十年経っても同じ結論、そうか、日本の共産党やもんなー、と。

今日は国会決議に賛成したようですね。しかし、それにしてもあの党は、その時々の姿勢の違いをどう説明するつもりなんでしょう?
「派遣切り」だ「蟹工船」だと調子付いてきたのに、今年に入ってまた支持率が低迷してきているようですね。正直「使えない度」満開の「完成度の高さ」には、もう天然記念物的な美しさすら感じたりして...。

その天然記念物にかかわろうとする、我々こそが天然記念物だという説もw

赤旗を何年か前に、日曜版だけ、義理で取っていました。北の拉致問題について、取り上げていた時代でした。

この問題は、日本共産党が、他の政党に先駆けて最初に、国会で取り上げて、問題にした。と、いまも威張っています。

当時共産党、社民党、は、北の労働党と、友党関係でした。

突然小泉、キム会談で、北は、日本人の、拉致を認めて、謝罪しました。これは、天地驚愕の事件で、幾人か拉致されていた人たちが祖国に戻りました。

問題は皆さん,これより以前 なんです。北が拉致を認めていなかったころ、日本世論では、北の日本人拉致について、かなりの疑惑をふかめていたし、不審船の日本沿岸に出没。はた、工作船逃亡、工作船からの、ランチャー発射、そして、自沈などありましたね。

日本共産党が、北の拉致を取り上げ国会で質問しました。確かに最初でした、 
しかし、当時は、まだ北が、日本人の拉致を認めていなかったし、その疑惑は日本人多数だったが、確証がない、大きな国際問題に発展する可能性がある、うかつなことは言えない

そのとき、国会での共産党が取り上げた質問。が問題のところです。

赤旗は、その当時、北の拉致はない、拉致された人がいるなら
証拠、つまり、姓名 人数 性別 住所などの、一覧表を公表せよと、いう主張だし、日本共産党が、国会で最初に取り上げたことは、赤旗の当時の記事と同じ、質問だった。

それからしばらく経ってから、小泉、キム会談で、北が正式に拉致を認めたもんだから共産党社民党は本当に困ったようでした。そこで、国会で最初に取り上げた党であったと、
まあ苦し紛れで言い逃れしています。

本当に知らなかったようですね。日本共産党、社民党も信頼してたんですよ、
北という国を、

友党だったし、教育医療はタダこの世の楽園と信じこまされていましたからね。

それから私は赤旗を止めました。

私などは、なんだかんだ言ってもまだ若い=若輩者なので、あまり身近に感じないのですが、総連が出来た頃の経緯まで知っている古い党員や関係者の中には、日本共産党が最初に拉致問題を国会で取り上げたと言われても、不快感や違和感を持つ人達が居るのだろうと思います。
事の経過から言って、そういう受け止め方は当然でしょうね。

私は、1929年生まれです。今年80歳です。皇紀2600年(西暦との差がー660年)
昭和15年という年を思い出してみます。年寄りのたわいない、雑談です。

翌年開戦になります。私は小6です。食糧2合5勺(一人一日)衣料は衣料キップ制で、呉服屋で、代金とキップを切ってもらって、店主に渡し品物を受け取っていました。
だから、私たち友達はコールテンの汚い古い服を、着ていました。なにより、お菓子屋さんの、店頭から、お菓子がなくなって、週に2回か,3回蒸しパンのようなものを、列に並んで買うのが楽しみでしたね。砂糖、小麦これまた、統制品でしたね。何より子供だから甘いもんが食べたかったです。そのせいか、歯磨きしなくても30歳まで虫歯ゼロでした。栄養失調で、体格は、小さく、みんなに、ばかにされました。

つぎ、当時の小学校の様子、
シナ事変(昭和12年から)で戦死された村の出身軍人の遺骨がお帰りになると,村葬になって、体操場(体育館)は、式場になり、参列しました。海ゆかば の音楽がながれ、そのとき
隣の、友達が、耳元で、かえーりみわせじー のところで、かえーりみわ でっきー 
て聞こえるな? と言ったのが記憶にあります。もちろん深い意味わありません。直観的に
感じたのでしょう。同感でした。反戦的な思想は全然なく、打ち明けますが、私が、4年生の時、うちで、かあちゃんと、奥座敷に2人きりの時、長年疑問だったことを、思い切って尋ねました。  天皇って、うんこするの?    バカなこと言うな。    立ち上がって部屋から出て行きました。そのかあちゃんだって、新聞に御写真が、載っているときなんか庭に出て、包み紙や、尻ふき紙に、なる前に切り抜いて、庭で燃やしていたくせに。  先生にも特に校長先生に、天皇陛下は現人神(アラヒトガミ)。神様だ。って教え込まれていたもん。さらに、すごいこと言ったよ。この人、武運長久なんかだめだ。なまぬるい。 陛下のために死んでこい。と言いました。私も、そうかなー。でも、いたいだろうなーくらいしか思はなかったです。
小学校の正門に、奉安殿が、あって、その中には、天皇、皇后さまの御真影(写真)と教育勅語(黒い漆に御紋章のついた細長い箱)が納められていました。。レンガ建ての頑丈な建物でありまして、そこを、通過するさいには、国民誰でも最敬礼をすることになっていまして(最敬礼とは、60度曲げて頭を下げる)        私なんか、こんなことがありました。
土曜日 帰りの出来事。土曜日って昼から遊べる、明日日曜うれしくて、ランドセルに、習字の硯、筆巻き。放り込んで、下校 走って、止まって、最敬礼。尾錠が止まってなかったのさ
中のもの全部落下になりました。

当時熱砂の誓が、映画になり、主題歌建設の歌が、はやり国民は全員 興奮状態だったですよ。生活物資が、不足しても、夏ゆうどき、三々五々村には、人のたまり場が自然とできて
日本が、大東亜共栄圏の指導者になるって気持ちでニコニコト話し合い。幸せそうでした。
マインドコントロールされていたんですね。そのころなんだか、明るく幸せに感じていました。ほんとうに。

北朝鮮のパレードの行進をみても、あのそろった足並み、アナの高揚した言葉使い。あの頃と重ね合わされて感じます。まったく同じです。マインドコントロール。
そして、総理のマンガが、なんの違和感もなく、自由に見られる今の日本 ネットから、いろんな意見が見られ、自由に発表できる社会。中国も、他の共産圏も、ネット規制をかけようと、しています。これから、どうなるんでしょうか。

共産党のどこがわるいんですか? 

それはね、その答えはね、実際に体験した幾つかのへたくそな、表現でしたが、私の話の中で、感じていただけたら。幸甚です。フラメンコ

このブログ、けっこう年配の方が見に来て下さっているようなのですが、そうですか、1929年生まれですか。
ココログにコメントの字数制限があるのか無いのか知らないのですが、すごくたくさん熱心に書いて下さって、本当にありがとうございます。戦争中のお話を読んで、今日はちょっと感激してしまいました。
自由の無かった日本の戦争時代を体験された年代の方たちには、今の自由の無い北朝鮮の風景が、我々戦争を知らない年代とは、また違った深さで見えるのでしょうね。国家と国民の心の問題として考えれば、他国の話ですむことでも無いわけですね。何だか考えさせられました...。

共産党のどこがわるいのか?.....そうですね。そこですよね。かつての私も含めて、皆真面目で熱意のある良い党員ばかりです。でもその同じ良心があるからこそ、党を出て行く者に冷たくなり、党を批判する者に門戸を閉ざす。たいていの人は、共産ネタなんて興味も無いでしょうに、その奇妙さを一度知ってしまった人間は、いつのまにか永遠の疑問になってしまいます。不思議なことですね。

JGB管理人さん。ありがとうございました。
2回80歳の元赤旗読者として投稿させていただき、温かいご感想その都度お返しになって、うれしいです。今日もまた少しだけ、やらせてください。

むの たけじ著 岩波新書 戦争絶滅へ、人間復活へ、についてであります。
テレビ番組 ブックレビューで、ある人が推薦する本として採りあげ、合評していました。
一人が、日本のじいちゃんは、戦争のことを話したがらない それは話したくない慰安所の経験などがあったからなんですね。この本で初めて知りました。と言った。
私は、むのさんを個人的にすきでなかった。放送で昔からよくぺらぺら、しゃべるお方だな。いやでした。でも、合評者なかの女性がそう言ったので、この本を私は買って読んでみました。

前回私の文の中で、マインドコントロール という言葉を使いました。それを操っていた人たち、末端にはあの校長先生。かもしれない。軍隊では(私は経験ありません)、上官だったかもしれません。それが敗戦になって、だれも責任を取らないんですね。満州軍も、終戦当時司令部は、逃げてしまっていた.そして、兵は抑留、また一般民間人は、どうなりましたか、
あの レイテ戦記のなかで語られていること。(この本は戦記の中でもピカイチ)それは、兵はよく戦った、しかし、司令官、参謀などは、さっさと台湾に逃げていた。とあります。

責任のなすり合い、おれ知らないよ・言われたとおり、したんだもん。

さて、いよいよ、むのたけじさん。略歴省略しようか、でもちょとだけ横手市に在住
し、自衛隊はいらない、うまい飯くうべ 元従軍記者 朝日新聞を、敗戦時責任をとってやめたそうです。

うそです。 終戦後は、食うのに困った。配給米が、欠配で。仕事より食うもの。時代でした
あなたも、食うのに困りませんでしたか? 秋田に帰って農業始めたんでしょう。
札幌市の電柱に、市職員の募集ビラが貼られていたんですよ。市の職員より加配米がでる炭鉱
に、大勢流れて行きました。私は昔のことは、記憶がいいんです。朝日新聞社にいては、食べて行かれなかったでしょう。

朝日。従軍記者。戦争にかかわった責任を取って朝日を退職いたしましただと。きれいごと。ばかりですね。ゴリッパ  戦時中は、ピー屋にいかなかったの。兵士だけですよね。なにしろ、従軍記者と、いえば、兵隊とは関係ないもね。

年寄りは、真実を語ってあげねばなりません。そりゃ人間ですもの、間違いはします。それを飾らなく、後輩に伝えなければなりません。そして、いばらないのさ。マインドコントロールされないように後輩に伝えるにしても 、羹に懲りて(あつものにこりて)なますを吹くことがないように、理性をもって、言ってください。          

自衛隊は、必要です。



実証には事実と事実の間にこれまで知られていなかった関連を見つけ出すというそくめんがある。(中略)実証を進展させる本当の原動力はやはり構想力である。構想力は、このような事実がなければおかしいとか、このことが起こるのは不可能とするような冷静な判断力、一見無関係に見える2つないし3つの事実の間につながりを見出す洞察力、長期にわたり集積された多様な事実の中に秩序や傾向性をみいだす直観力などが複合されたものである。その出発点となるのは問題意識、問題発見能力である。  (歴史学入門 浜林正夫。佐々木隆爾編  
30ページより)
歴史はおもしろい。浜林正夫先生、この先生に昭和28年に、社会学で学びました。こんなすごい先生はいない。こんな学識のあるその蘊奥をきわめている先生は初めてでした。直前に座って習いました。先生は、ノートを取っているのを上からご覧になっていたんでしょう。
何度もそうですね少なくても5回くらいその部分を表現を変えて、お教えいただきました。
毎週水曜日は、たのしかったです。カール マンハイム の合理性について、および日本社会の非合理性について だったかな。終講まえのテストで私の書いた答案です。
優をいただきました。

いくつになっても、問題意識を持ち、問題発見能力を、高めるよう自分なりに努力しています。

今夜は、初音ミクの軍歌を聞いてから、寝ます。わたしは、もう投稿しません。ありがとうございました。

赤旗元読者様は、すごい勉強家だったのですね。浜林正夫先生ですか。新日本出版とか大月書店から何冊か著書を出しておられますよね。鯵坂真さんとかと共著があるところを見ると、労働学校などにも関わっておられたのでしょうか。調べると新日本版のエンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」の翻訳をしておられるようなので、僕も詳しく存じないうちに、書籍でお世話になっているのだと思います。

終戦当時、満州軍の司令部が逃げてしまったなどのお話を読んで、大量の戦死者(餓死、マラリア死)を出した地獄のようなインパール作戦を指揮しながら、自分だけのうのうと東京参謀本部に戻っていた牟田口司令官を思い出しました。戦後生まれの私は、牟田口司令官のことを、たしか保阪正康「あの戦争は何だったのか」を読んで知ったのですが、生き残った兵士から「あんな司令官が畳の上で死んだことは許せない」と悪口を言われるなんて最悪な人物。

確かにおっしゃるとうり、自分の経験を、言葉を飾らずに後輩に伝えられる、そんな生き方をしていくことは大切なことですよね。私は幸か不幸か、部下を遠くから指揮して働かせるようなタカビーな仕事には就いておらず、上司になっても現場でドロドロ働く「名ばかり管理職」ですから、死ぬときは兵隊となって現場で死ぬでしょう(笑)。

追記:
しかしそれにしても、赤旗元読者様。
「初音ミクの軍歌」ですか!!
すごいです! 感性がすごく若いですね!!

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