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2009-11-19

『日本共産党の戦後秘史』 兵本達吉

51b3nxns0al_sl500_aa240_ 単行本で出た頃、一度読んで知人に貸したまま帰ってこない本。昨年文庫本になったので読み返してみた。「日本共産党への手紙」も同じく知人に貸したまま帰ってこないので、古本で再購入した。貸した相手はそれぞれ別人だが、2人とも共産党員。どうも党員はこの手の批判本を貸すと、返す気がないらしい。

まあ、そなこたぁどーでもいいが、この本の話である。

戦後の日本共産党の、その駆け出しから極左冒険主義を放棄するまでの部分、なかなかこのあたりの資料は日を追って少なくなるので貴重である。最近の若い党員は、安部公房や野間宏が除名された元党員であったことなど知らないらしい。つーか若者一般で見ると「ソ連って何?」な世代が現れたわけで、よほど共産マニアでないかぎり共産党の歴史など関心が無いだろう。

歴史への無関心は党員にも広がっているに違いない。そうなると、六全協、第七党大会以前の共産党が、暴力鬪爭をしていたこともよく知らないだろうし、いわゆる「50年問題」など、民主書店のカビの生えた奥のコーナーに置いてある「...問題について」に自力で気付かないかぎり、党内で話題にする先輩すら居ないだろう。しかし過去を知らないですましていれば、現在の党の姿をも見誤ることは肝に命じておくべきだ。例えば今の党員が、60年や70年の安保鬪爭で、共産党が主導的に日本の平和を考えていたなんて思うんだったら、とーーんでもない誤解である。

もちろん私も70年代の入党者だから、「50年問題」などその党の公式資料で知ったのではある。それでもあの頃は、さらに10年以上前の上田耕一郎の本が簡単に手に入って、そこにはこう書かれていた。「...トロツキー賛美論の時代錯誤を粉砕しておくために、...スターリンによる理論的達成とその意義を確認しておく必要がある。」(先進国革命の理論) ソ連は厳然として存在していたわけだから、国際派や所感派といった呼び名も、資料の文脈から辛うじてイメージできた時代だった。

私が入党した70年代、すでに宮本=不破体制がしっかり敷かれていた。ソビエト共産党との関係も最悪で、不破哲三が主軸になってソ連からの干渉主義と闘っているとされていた。しかしだからこそ、そこで伝えられる過去の党史は、すでに宮本=不破体制で脚色された党史だったのである。だから、かつて暴力鬪爭をした方の共産党がむしろ主流派であったことや、宮本顕治がむしろソ連の指導に忠実な側の分派であったことなど、全ては後で、例えばこの本などを通じて知ることになった。

そういった「党内党史」の歪みは、党の過去の解釈の問題であるだけでなく、当時のリアルタイムな政治方針の歪みをも隠蔽するものであった。だから原水爆禁止運動などで、共産党が大衆運動に持ち込んだ分裂などは、党員であるかぎり相当批判的に距離を置いて自組織を見るようになるまで知らなかったし、社会党=総評ブロックの策動という赤旗の言葉を鵜呑みにしていた時代が、私にもあったのである。

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要するに洗脳にすぎないのである。そういう意味では、党の過去の歴史を知ることは、党員で無い人には、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜でもいい話だが、むしろ党員にとって必要であるし、きれいごとばかり並べて、赤旗のオウム返しばかりする頭の悪い党員にならないためにも、この手の本は読んだほうがいいのはいい。

ただし、少々疑問符な表現があちこち散在するので、受け取り方は要注意。山村工作隊の話など、資料として貴重だ。だが、時々首をひねるような言葉がその価値を下げてしまう。

七章の「吉田嘉清が見落としたこと」なる節も、吉田を評価するのかと思いきや、なんか相当???である。別の章で出てくる「特高警察の方が、日本を守った」なんて文章もずっこける。

しかし何と言っても問題は、マルクス主義の話になると、とたんに飲み屋のおっさんの会話レベルに堕してしまう点であろう。そもそも「マルクス主義は暴力革命の理論であるから間違っている」と、なぜこうも簡単単純に連発するだけで終わりなのか? そこから奥への問いがなぜ無いのだろう?

せっかくの党批判が、浅く思想の無いものに思えてしまい、これでは、「ソ連は本来の社会主義の国では無かった」で済ましている不破哲のバカバカしい見解と同じレベルの思考を、日本共産党に当てはめているに過ぎない。

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ただ、この手の、元党員による党批判の水準問題は、わたし自身への自己批判も込めてなかなか面倒である。なぜなら党歴の長さは、外側から党を見てきた期間の短さを意味するからだ。

兵本さんは30数年共産党員であったと書いている。党を辞めてようやくハイデガーなどを自由に読めるようになったとも。党員であることでこういう事実があるなら不幸。だが残念ながら、実際には知合いの党員にも民医連の幹部クラスともなると、似たような硬直思考只今続行中の人物が多いようだ。

柄谷行人は丸山真男と吉本隆明の両者の「転向論」を比べて、転向することが自身の思考をより拡大し自由にするとした吉本の捉え方をより優れていると書いている(「倫理21」)が、そういう意味では、党歴が長いということは少しも利点ではなく、むしろ世間知らずの期間の長さを表しているのではないか(まあ個人的には柄谷行人の書いてることはワケワカな話も多く、吉本隆明はかなりイマイチなんだけど、まあそこは今関係ないので横に置いておく)。長い党歴は、非共産党的な視線で政治を見たり読書をしたり思考しなかった長さなのではないか。この限界を超えるにも、やはり長い思考期間が必要になるのかもしれない。

もちろんマルクス主義は暴力革命の理論では無いと単純に言いたいのではない。かつての共産主義運動とは、本当は「知」によって差別と排除を生み出してきた近代社会の申し子では無かったのか?? という疑問は、なかなか晴れない。なぜ歴史上、マルクス主義は暴力革命の姿をとって現れざる得なかったのか? そもそも革命における暴力とは何なのか? 暴力とは自らの内にあるものではないのか? 一見理想的な理論と政治が、暴力と排除と差別をなぜ生むのか? 暴力と縁を切ったはずの共産党に、なぜ今も排除と差別があるのか?

共産党の暴力革命時代に言及するなら、それらの問いの奥にあるものに突き進む必要がある。共産党員にとって、そこから奥は、党を信じた自分に全て跳ね返ってくる自己批判の道だろう。しかしその道を辿らなければ、表面的にはかつての姿を隠したかのような現在の党の、奥にある変わらぬ本質が見えて来ないのではないかと思っている。少しでも「科学的社会主義」なる矛盾した理論に触れた者なら、現在の共産党は社会民主主義的に変貌したなどとは思えまい。

今や党を忘れるのも一つの理だと思いつつも、「マルクス主義は間違っていた。私は今はもう関係ないし...」だけでは、自分自身の過去と現在をもごまかしているような気持ちが残る。

「党は変だが、末端の人はいい人」と末端の人が自分で言ってはならないという言い方もできる。党は、そのましな部分も歪んだ救いようのない病巣も全て、末端が支えることによって今も存在しているわけで、中に居た者が外から党を批判する難しさも、この本から学んだほうがいいのかもしれない。

いや、兵本さんの本を批判するのも止めよう。貴重な資料であり労作であるには違いない。そこは後の世代として大いに使わせてもらおう。

むしろ要望として「暴力革命だった共産党」を知る世代の方たちにこそ、現在の共産党の顔の内側にある「革命観」の奇妙を、もっと深く見抜いてもらいたい。この世代の人達にネットを活用できる人は少ないだろうけれど、一度は党に賭けた人達が、共産党に何も突き付けずに人生を終わるのは勿体無いような気がしてしまう。

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