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2009-11-04

リチャード・ストールマン「自由か著作権か?」

以前PCに保存しておいたものを発見。別にDeadのファンじゃないんだけれど、ひたすら崇め奉る私の神様の文章をコピペ。 「著作権」なんかクソくらえ!ってことなんで、この文を転載するのはかまわないはずあるよ、と思ったら下にOKって書いてあったw(もとの翻訳はかの結城浩さんです)

iTunes にしても Google(例えばBooks)、Amazon(例えばキンドル)にしても、徐々にストールマンがここで言ってた時代が来てるなと。ただこの文章を読むと、ストールマンの問題意識はさらに先へ行っていて、例えばキンドルなどの電子ブックも、コンテンツを誰が管理するかによって諸刃の道具になりかねないのが分かる。破壊すべきは著作権、と言うか著作権の背後に隠れた権威か!

大昔はコンピュータと言っても巨大なメインフレーム(汎用大型コンピュータ)しかなくて、そこに、センターフレームに繋いで処理を受け取るしょぼいダム端末(ダム端)と呼ばれる機械しか無かった。そんな時代のコンピュータは当然高価で、政府や超大企業が占有する代物だったわけで、ダム端を使うにもコンピュータールーム管理者の許可が必要だった。

アメリカではそういう時代、「コンピュータを使う人間=体制側の手先」というイメージがあったそう。企業の外では反戦運動が吹き荒れていた当時、管理者からいじめられて反発し、本物の自由を手にいれようとしたストールマンには、「自由とは闘いとるもの」という思想がしみついているのだろう。

さすがはMITのAI研(マサチューセッツ工科大学・人工知能研究所)でハッカーコミュニティーを作っただけあって、ストールマンのレベルは気が遠くなるほど高い。自分が日常使うソフトウェアにも自由が必要だということで、彼に取っては使い難かった TECO とか vi をやめて、Emacs を開発したんだから。例えばエクセルやワードが使い難いからと言って、それを超えるソフトを作ろうなんて普通の人は誰も考えんでしょう(笑)。

神リチャードには、他にも「boycott of Yahoo」とか「ダウングレードのすすめ」なんて文章もあって、ネットを探すとけっこう面白い。「ダウングレードのすすめ」は、ソフトは必ずしもアップグレードするな、使い難くなったりとか場合によっては前に戻せってな話で、世の中お金払ってPC企業のアップグレード戦略に飲まれていることが悲しくなる。

著作権で儲けられた時代は終わっていくんじゃないかしら。MacOSX並に綺麗なだけで、OSXよりも重たくて使えない Vista から、早々と"7"に切替えてまた一儲け狙ってる某大企業さん。ソースコードの部分的公開なんてしみったれたことでなく、もっと次の時代の収益モデル見つけないと死んじゃうかもよ。

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「自由か著作権か?」リチャード・ストールマン 著 (英語原文)

むかしむかし、印刷機の時代に、 執筆と出版のビジネスのために1つの産業上の規制が確立されました。 それは著作権と呼ばれました。 著作権の目的は、 執筆された書き物を広範囲に出版することを奨励するということでした。 そして著作権の方法は、 最近の著作物を再版する場合、出版社が著者の許可を必要とするというものでした。

普通の読者は、これを否認する理由はほとんど持っていませんでした。 なぜなら、著作権は出版だけを制限しており、 読者ができることに制限を設けているのではなかったからです。 もしも、著作権が本の価格を少し上げたのなら、 それは金銭の問題だけでした。 著作権は、本来の目的の通り公共の利益に役立っており、 一般の人々に、ほとんど負荷は与えませんでした。 著作権は、その役割をよく果たしておりました——その当時は。

やがて、情報を配布する新しい方法が登場しました。 コンピュータとネットワークです。 デジタル情報技術の利点は、 情報のコピーと操作を行なえるというところにあります。 それにはソフトウェア、音楽録音、そして書籍も含まれています。 ネットワークによって、 あらゆる種類のデータへ無制限にアクセスできる可能性が提供されました——情報のユートピアです。

しかし、そこには1つの障害が立ちはだかっていました。 著作権です。 出版された情報をコンピュータを使って共有しようとする読者は、 法律上は著作権に違反しているのです。 世界は変わり、 かつては出版社にとっての産業上の規制であったものが、 本来奉仕すべき一般の人々に対しての規制となってしまいました。

民主主義社会においては、 多くの人が関わり、自然で、有益な活動を禁じる法律は、 まもなく緩和されるのが普通です。 しかし、出版社の強力な圧力団体は、 一般大衆がコンピュータの能力を有効利用することを禁じる決断をしました。 そして著作権がぴったりの武器であることに気づいたのです。 出版社の影響を受け、 著作権を新しい環境に合うようにゆるめるのではなく、 共有を行なっている読者に厳しい罰則を与えることで、 政府はこれまで以上に著作権を厳しくしたのです。

しかも、 それで終わりではありませんでした。 コンピュータは、 他の人々のコンピュータの活動を、数人の人がコントロールできるなら、 強力な統治の道具となり得るのです。 人々が電子ブックを読む際に、 特別に設計されたソフトウェアを使うことを強制すれば、 自分たちが空前絶後の力を得ることができる、 と出版社は考えたのです。 出版社は料金の支払いを強制し、 また読者が誰であるかを識別することさえできるのです。 読者が本を読むたびにですよ!

それは出版社の夢です。 そして出版社は合衆国政府を説き伏せて、 1998年のDigital Millennium Copyright Actを制定させました。 この法律によれば、 出版社は、電子ブックに関して読者がするかもしれないほとんどすべてのことに関して、 全体的な法律上の力を及ぼすことができるようになります。 正当と認められなければ電子ブックを読むことも犯罪となるのです!

私たちは、紙の本を利用することについては、昔ながらの自由を手にしています。 しかし、もしも電子ブックが印刷された本にとって変わるなら、 そのような例外は少しも役に立ちません。 「電子インク」——印刷に見えるような品質で、新しいテキストを紙の上にダウンロードできるもの——を使ったとすると、 新聞も、次々と中味が差し替えられていくようになるかもしれません。 想像してみてください。 古本屋はもうなくなります。 友人に本を貸すこともなくなります。 公共の図書館から本を借りることもなくなります。 料金を支払うことなく誰かにちょっと読ませる「リーク」もなくなります。 (そしてMicrosoft Readerの広告から判断するに、 匿名で本を購入するということだってなくなります。) これが、世界の出版社が考えていることなのです。

どうして、このような重大な変革について、 公の議論がこれほど少ないのでしょう。 ほとんどの市民は、 先駆的な技術によって浮上してきたこの政治問題を、理解する機会を得ていません。 それに加えて、著作権は著作権者を「保護する」ために存在すると一般の人々は教えられてきています。 それは暗黙のうちに公共の利益は重要ではないという意味を持っています。

しかし、一般の人々が広く電子ブックを使いはじめ、 出版社が電子ブックに対して用意していた支配体制を発見するとき、 彼らは抵抗を始めるでしょう。 人間性はこのような奴隷状態を受け入れることは永遠にありません。

出版社は、著作権による制約は、 芸術を生かすための唯一の方法である、と私たちに信じ込ませようとするでしょう。 しかし、私たちは、出版された作品を広めることを奨励するのに、 コピーに関する戦争をする必要はありません。 というのは、 the Grateful Dead が示したように、 ファンの間で行なわれる個人的なコピーは必ずしもアーティストにとって問題とは限らないからです。 友人間での電子ブックのコピーを合法化することによって、 私たちは著作権を、以前同様、産業上の規制に戻すことができます。

ある種の書き物に関しては、私たちはもっと先まで進むべきです。 学術的な論文や研究論文(モノグラフ)に関しては、 誰もが丸ごとオンラインで再出版することを奨励されるべきです。 これによって、もっとアクセスしやすくなる一方、学術的な記録を守る助けとなるでしょう。 教科書やほとんどの参考書に関しては、 修正版の出版も同様に許可されるべきです。 というのは、そのようにすれば改善が奨励されるからです。

やがて、 コンピュータネットワークが、少額の金銭を誰かに送信する簡単な方法を提供するなら、 丸ごとそのままのコピーを制限する正当な理由はすべてなくなってしまうでしょう。 もしもある本が好きで、あなたのコンピュータ上にボックスがポンと出てきて、 そこには「著者に1ドル払うならここをクリック」と書かれていたら、 あなたはクリックしませんか? 書籍と音楽の著作権は、 丸ごとそのまま、修正なしのコピーの配布に適用するなら、 時代遅れのものとなるでしょう。 そのような時代は、いつ来ても、早すぎるなんてことはありません!

Copyright (C) 2000 Richard Stallman

Verbatim copying and distribution of this entire article is permitted in any medium, provided this notice is preserved.

本文に一切変更を加えず、この著作権表示を残す限り、この文章全体をコピーおよび配布することを許可する。 媒体は問わない。

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    音楽、美術、映画、本など趣味的なページはここに移転しました。考えるのが面倒だったので、タイトルは単に2です。

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