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2009-12-17

北朝鮮帰還事業50年で追悼集会

北朝鮮帰国事業から50年。帰国船の出発港だった新潟港で、二度と日本に帰ることかなわず亡くなった帰国者を追悼する集会が開かれた。脱北者8人を含む約70人が参加。

TVのニュースでも取り上げられたので御存じのかたは多いと思う。ニュースに映る映像やこの産経新聞の記事に載った写真を注意して見ると分かる。当時、北を「夢の国」と信じさせられて旅立った帰国者が、北朝鮮の清津港に辿り着いた時すでに、それがウソであったことに気づいて落胆している様子がはっきり映っている。

北朝鮮帰国事業は、確かに直接的には金日成と朝鮮総連が手を下した事件である。しかし、そこに自分達の利害やイデオロギーを重ねて協力した、日本のある種の人々の存在なしには現前しなかった事件だろう。在日を追い払いたかった日本の政府と、北朝鮮が社会主義国家であることだけから実態も確認せずにそれを理想郷と信じた、日本の既成左翼団体が加担した壮大な集団拉致事件であった、というのが今日確認されている歴史認識だ。

かなりの偏見に染められた資料だと思うが、当時在日朝鮮人の犯罪率が非常に高いとされていたことが、日本政府が帰国事業を許可した主な理由と言われている。また彼ら在日の生活保護受給率も高く、財政負担となっていたなどとされている。しかしこの2つを考えても、そこに在日の抱える貧困問題があったことは明白。昔は朝鮮人と指さされるだけで、まともな就職もできなかった時代だった。日本から逃げ出してもっとマシな生活がしたい。そういう在日朝鮮人の追い詰められた思いを悪利用したのが帰国事業だった。

しかし日本政府は、「居住地選択の自由」などといった表向きの人権を唱えて、この帰国事業を支援した。現在の鳩山首相の祖父であり、首相も務めた鳩山一郎氏は、当時、帰国事業の支援団体だった「在日朝鮮人帰国協力会」の会長を務めていた。

私の職場の年配で、リアルタイムに知る方に言わせると、朝日新聞に代表されるような左派メディアもまた、当時帰国事業賛美の立場をとったという。知る人も減った今となっては、当時を知らない今の記者に文句を言っても仕方が無いとは言え、朝日が追悼集会を他人ごとのように報道しているのも本当は疑問に思える。

ニュース映像には、新潟での盛大な見送りとともに、北朝鮮側の出迎えの映像も見られる。同じような作り笑いをして、紙で作ったこれまたお揃いの造花を振り ながら歓迎する何千の北朝鮮労働者たち。もうここにマスゲームが始まっている。新潟でも清津でも響きわたった「金日成万歳」の声。しかし北の港に着いた帰国者たちは、造花を振る作り笑顔の群集 が皆、栄養失調で青白く痩せていたのを見逃さなかったという。

昔の映像はモノクロなので、21世紀から振り返るとずいぶん古い話のように思える。しかし今回改めて資料を調べると、在日975人を乗せた第1次帰還船が新潟港から出発したのは1959年12月14日。私が幼児だった頃だ。帰国者9万3340人のうち7万4779人はそれから2年後の61年までに集中しており、この期間に80%が北に移住したことになる。しかし、とは言っても、この事業は1984年(!!)まで25年間続いており、私達が子供だった頃の話では終わらないのだ。84年までに北に渡った9万人以上のうち、約6840人は日本人妻とその子どもら日本国籍を持つ人たちだった。

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朝鮮総連は北朝鮮を「楽しい労働、幸せな生活、笑いと歌声が詩のように流れる場所」と宣伝した。その総連とは、当時自分達の人権を守る場所が無かったため日本共産党員となって活動していた多くの在日朝鮮人たちが、共産党を辞めて結成した組織だ。日本共産党から朝鮮労働党への籍がえを日本共産党自身が追認した。当時の左派知識人(これは共産党系だけではなく左派社会党系も含む)たちは、北朝鮮の問題性が全く見抜けなかった。共産党員であり歴史学者であった寺尾五郎という学者は、「38度 線の北」という著書で「北朝鮮は数年後に工業生産力で日本を凌駕する」と書いたそうだ。

しかし北朝鮮政府にとって、帰国者は建国のために不足していた労働者のタシだった。「労働者の天国」に着いた帰国者たちが組み込まれたのは、いくつもの階層に分けられた差別社会だった。しかもいったん資本主義国家に住んでいた在日コリアンは、思想的に堕落した階層と見なされた。帰国者たちはそこで、最下層の貧民として虐げられた。

萩原遼氏の著書「金正日 隠された戦争」には、思想犯が流刑される「咸鏡南北道(ハムギョンナムプット)」という、北朝鮮の北東部の話が出てくる。北朝鮮労働党によって、人為的に飢饉が起こされ、大量の餓死者が発生した。日本から北に渡った帰国者も、思想犯として捕らえられその地に強制居住させられた人達が多く居たと言われている。人為的飢饉などと言っても資本主義国から見れば用語の矛盾だが、北朝鮮のような専制国家では、食糧自体が配給であることを忘れては理解できない話だ。

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新潟での追悼集会をめぐるこの間もっとも印象に残ったのは、次の朝鮮日報の記事。

大阪の在日コリアンにはこの帰国事業の犠牲者やその家族がたくさん居る。
日本人拉致事件と帰国事業の闇は、北朝鮮という国家を通じてつながった問題だという認識を持つべきだろう。

社会党が消滅した今日、存在する既成左翼でこの帰国事業に大きな責任を感じるべきは、やはりずっと党名を変えずに存続している日本共産党ということになるのだろうか。「拉致問題をいち早く追求した党」などと、実際にそれに尽力したのは除名・除籍者たちであることも隠して自画自賛するのは簡単だが、赤旗に帰国事業についてのまともな記事など載ることが無い。

もし北朝鮮と日本の間に、資本主義国家どうしのような流通があれば、たとえば船で脱出することもできるだろう。それができないからこそ今日のような事態になっていることは百も承知だが、実際そんな夢想が成り立つことは、このところ増加している中国人留学生を見るにつけ明らかなことだろう。

政府の北朝鮮制裁措置などに対して、共産党はよく反対する。一見言っていることはまともに聞こえるが、実際は人々が自由に行き来できるような国交正常化を目指して努力していこうという主張とは正反対の、事無かれ主義な考え方で、単に北朝鮮との間に波風を立てるなと言っているにすぎない。多少でも拉致問題に動いた自民党の方がマシであろう。

それとも、過去に帰国事業でとった態度を歴史的に反省して、例えば不破哲三や志位和夫が平壌に直接乗り込んで政治交渉でもしてくるぐらいならば、国民側の見方も多少変わるかもしれないが...。

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