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2010-02-20

阿久根市竹原市長の発言について

前のエントリで書いたことはもちろん、例の、昨年11月に書かれた鹿児島県阿久根市竹原市長のブログの件だ。(2009/11/08 「医師不足の原因は医師会」という記事)

障害者の出生を否定するような独自の主張を展開したと言われて、その真意が何なのか話題になった。「高度医療が障害者を生き残らせている」などともとれる発言内容なので、障害者団体などが猛批判した。以前は全職員の給与明細を発表して、市の税収20億円のうち17億が人件費であることを問題にするなど面白い市長が出てきたと思っていたが、この発言は残念。問題の市長の記事は今も「ただいま修正中」となっていて、肝心の部分は読めない。本来全体を引用すべきだが、ネットではこの文章について書いている人も多くてすぐ分かるので全体は省略する。

文の始まりは医師不足の問題を取り上げ、途中までは一見まともな話。問題発言とされているのは次の箇所。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。

市長は発言を撤回しないし謝罪しないと言っていたが、その後どうなったのだろうと思っていたら、年頭のあいさつで「新聞社が誤解を誘導した」と言ったとか。またこの前の1月末から2月の始めにも、障害者団体が発言撤回を求めて抗議するなどのニュースが流れていた。市長リコールを求める動きもあるようだ。最近の市長のブログも、自分の発言に無かったことをマスコミが捏造しているとする市長側の抗議が書かれていて、この問題はまだまだ続いているようだ。

本人が議論をすべきだと言っているのだからそうしたらいいと思う。ただ、この発言にはやはり根本的な違和感を感じる。ネットで市長弁護的な発言をしている人達の意見もいくつか読んでみたが、分かるような気もするし、分からないでもないが、う〜ん...やはり分からないなー。

----------

この市長をネットで感情的に叩いても意味はないだろう。建設的に捉えれば、実は議論すべき大切な論点に触れてもいる。と一応前置きしておく。ただ個人的意見を言えば、件の記事の文章よりも、翌日の記事のある批判投書に対する市長の回答のほうが私は気になる。

http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20091109

最初に「引用」として市長への批判投書、後半市長からの回答になっている。

2009/11/09 (月) 神の領域

頂いたメール------引用はじめ
未来を作るために。には、違和感を覚えました。全体主義的、若しくは、神がこの世にお作りになった仕組み的(自然の摂理)には、正しいのかも知れませんが、高度医療のために機能障害を持った子を授かり、その子の成長に関わり、高い精神性を求められている方々にこの言葉はあんまりです。(私の娘達w)?「老鮠鐚圓任后・・・w:ぢ正直な気持ちとして、人間は神の領域に(覚悟は持ち得無いながらも)立ち入ったのですから、人故に手に入れた高度な社会性でこれを乗り切らねば成りません。少なくとも、この世に生を得た者に対して。。ブログは日記であると共に、自らの意志で公共に発信するもの。そして貴方が市長という皆の希望と誇り、志を背負って人故の社会を作られるリーダーでいらっしゃる立場から、これを書いてはいけないと思います。少なくとも機能障害を持った子の親に成られた方の心を支える魂を見せなければ成りません。
始めての手紙で不躾であったこと、お詫びします。社会への働きかけ、いつも尊敬しています。
--------引用終わり

厳しい生活の中で喘いでいる方々には慎重さを欠く見解に見えたかもしれない。高度医療が多くの人々に高い精神性を追求せざるを得ない機会を与えているのは現実だ。この世は生ばかりではなく死によっても支えられている。しかも人間は生と死の境目をコントロールする技術を手に入れつつある。原子爆弾同様に、使い方を知らないままこれを乱用すれば多くの人々に高い精神性が必要な厳しい生活を強いる。これでは残酷な社会を作る事になる。

日本が人口減少で消滅しつつある過程でするべきことは、先ず人口を増やす事であって高度医療で儲ける医者と業界を増やす事ではない。精神的にも健康な子供達が増えれば障害を持った子供達、体の弱った高齢者をより良く支える社会を作ることができる。高度医療にかけるお金の一部で人口を増やす事ができる。先ずは健康な人々が多く居なければ心を支える社会作りもできはしない。社会作りは人工的に意図的にしなければならない。メディア等に煽られての情緒的、成り行き任せであってはいけない。理不尽さを神や悪魔のせいにもできない。社会作りの全てが神の領域に踏み込む技術を獲得した人類の責任だ。

高度医療で儲ける医者と業界を増やす必要は無いだろうが、高度医療によほど怨みでもあるかのような捉え方にまず違和感。高度医療は万人のための積極的な貢献もしているのだから、産湯と赤ん坊を一緒に捨てるような捉え方をして科学を否定するわけにもいかない。まあその金の一部を他の必要なことにまわせという意味で、建設的な意味に捉えたとして、「精神的にも健康な子供達」の多くがすでに経済的に困窮している中で、人口問題は重要だとしても、それは経済の最重要課題なのだろうか? 人口が増えることが弱者を支える社会作り=経済発展になるのだろうか?

まあそういう言い方は言葉の挙げ足取りだと反論されるかもしれないが、ただそれでも、一文一文だけ読むと正しいように見えて(市長擁護派はそこだけ見ているような)、全体の底に流れる違和感は拭えない。「精神的にも健康な子供達」と障害者や高齢者を対立した概念で出してくる言葉の価値観がよくわからないし、それを「生と死」につないで語る流れがやはりどこか奇妙。

「社会作りは人工的に意図的にしなければならない。」という部分を、例の修正中の記事の障害についての発言と重ねると妙に気持ちが悪い。社会を人口的に意図的に作ろうとした人達が、歴史上ろくな意図であったためしがなく、また彼らの意図どうりになったこともない。

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