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2010-03-21

地下鉄サリン事件から15年

3月20日は地下鉄サリン事件からちょうど15年になる日。新聞等のニュースでも取り上げられた。霞ヶ関駅助役だった夫の一正さん(当時50歳)を亡くした高橋シズヱさんの物語を中心に、特集のドキュメンタリもTVで放送された。

特集を見て、あらためてあの日の現場の実状に驚く。林郁夫によってサリンがばらまかれた電車が駅に入って来たちょうどその時、プラットフォームに立っていた高橋さんは、開いたドアから悲鳴をあげて乗客が飛び出してきたその後に、例の傘で突き刺されたサリンのビニール袋を発見。あわてて手でそれを車外へ持ちだし、運んだ後、床にこぼれた液体を当然それが何とは知らず拭き取ったのだと言う。おそらく、ヌルっとしたその液体の感触を見て、プラットフォームの人達が転んではいけないと思ったからだそうだ。

そしてその大変な事態を本部に知らせようとそこから立ち上がった瞬間、その場に倒れた。検死官の話では、体に異臭が染み着いてほとんど即死であったとか。文字どおり乗客を救おうとした殉職であった。

本部に駆けつけた妻のシズヱさんの目の前に、たまたま事件を報道していたテレビが置いてあり、一瞬映った現場の映像の中に倒れた一正さんが見えたと言う。それにしてもシズヱさんのその後のオウム裁判を通じた格闘で浮かびあがるのは、被害者や遺族への軽視。裁判に遺影が持ち込めないといった事態で悩んだのも、光市の事件と同じである。

1995年は、阪神大震災もあったし、いろいろと激動の年だったなーと、今思い返す。ちょうど私もブラック企業に勤めていたし。

大震災後の復興記録をつけておられたある方の日記を見ると、地下鉄サリン事件によって報道が一気にオウム一色に傾いた様子が書かれてある。「まだこちらも不安定な毎日で大変なんだぞ」と思っていたとか。震災に合われた人達にとっては正直な気持ちで、読んで複雑だ。

震災もそうだったが、なんだか全ての大事件が早朝に起きた年だった。カナリアを持った奇妙な機動隊に先導されて、それまで見たことも無かったような大捜査陣がサティアンに突入したのも、早朝でリアルタイムに見た。

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そして忘れられないのは、坂本堤弁護士一家殺害事件。夫妻の遺体が1995年9月6日に見つかったのに対し、赤ん坊だった長男の遺体だけが見つからなかった。そして9月10日、湿地帯のなかに眠る姿が見つかったのもやはり早朝で、ヘリコプターが上空から映す長野県大町市日向山中の現場の様子が、実況で伝えられた。「今発見されました!」のアナウンサの声も涙で激しく震えていて、見ていたこちらもつい涙して手を合わせた。道にずらり並んだ警官たちが、遺体を運ぶ車が通る際に、順に帽子を脱いで黙祷していった映像も忘れ難い。

今になって報道番組を見ると、あまりにも日常とかけ離れた光景の連続で、まるでドラマでも見ているかのようだ。しかしあの年の後生まれた若者たちも増えているわけで、1995年はやはり忘れてはいけない年であるなと、あらためて思う。

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