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2011-12-04

あれで良かったんだろうか?大阪W選

夏前頃のように休みのたびに雨だと気が滅入る。出かける予定があろうがなかろうが、カラっと晴れているのは気分が良い。今日も良い天気だが、ここから先はやはり天気の良かった先週の話。どこか買い物に行こうか、だったら午前中に投票はしておこうか、大抵の家庭にとって選挙とはその程度の感覚のものだろう。だから投票率は天気に左右される。しかも関心は高かったからなおさらで60%越え(!)もさもありなん。

では実際に誰に入れるのか、直前まで迷っていた。ほんとの直前、書く瞬間まで迷っていた。今回、府民の何かを変えてほしいという思いが強かったというか、変えてくれるなら一時的に「独裁者」であってもいいという思いが、小泉人気の時とどこか似ている。小泉の時もそうだったが、あまりに一方的な結果になるとどことなく不安だ。勝った側の政策に共感できるものがあったとしても不安だ。なぜならこちらの望む政治は、何々派だとか何々主義といったところに生まれてこないと思うからだ。どちらかが勝ったとしても圧勝してほしくない。反対勢力との闘争の中ではじめて、政治を与る側にも多様な民意のバランスが反映されるのではないか。しかし今回、反維新側には政治的バランスを勝ち取るほどの中身が感じられなかった。平松氏本人にしても「独裁批判」ばかりの反維新陣営にも、まともな政策が見られなかった。その情けなさがよけいに投票を迷わせた。

もちろん橋本支持者ではない。関西では人気の日曜日の例の某番組で、かつて(勝谷と一緒になって)「日本も核兵器を持て!」とほざいていた橋本氏には幼稚さすら感じていた。ただ、他のいろんな面では、維新嫌悪とまで単純にはいかない。

例えば息子の高校の校長は、民間から起用された人物で橋本氏の友人らしい。日本の国際競争力の劣化に憂えて国際弁護士から転身したとかいうこの校長は、当然英語教育に熱心である。出来る生徒に絞った集中講義といった、まるで塾まがいなことも実行している。当然子供たちの間の競争は激しくなるが、なぜかやっている方向に違和感を感じず、むしろ爽やかさと熱心さが伝わる。多科目の集中講義なんてまわりの教師たちの協力なしには不可能だから、けっして校長の一人よがりや独裁で進んでいるのではない。そういうのを見ていて親の一人として、維新が出している教育基本条例案が反維新側が宣伝しているような「教育を崩壊させる」ようなものだといった批判はどうにも気持ちに落ちないのだった。

私の地域は市外なので市長選は関係ない。ただメディアの偏った煽り方と、実際の地域での選挙活動の様子がかなり食い違った。選挙当初のTV、泡沫候補を除いた知事3候補を公平に写していた。しかし後半は共産系の梅田候補はないがしろにされた感じがある。一方組織力の違いからか、家の周辺で配られるチラシや宣伝は梅田候補のものと共産系のものばかり。維新のものは一つも無かった。倉田候補のものもわずかだった。私が維新系のチラシを受け取ったり、宣伝行動に出会ったのは全て通勤途上の市内だけ。反維新側の選挙活動はけっして低調では無かったのだが...。

今回共産党は、市長選では候補の擁立を48年ぶりに見送り「反維新」の立場から平松氏を実質支援するという"画期的な!"態度に出た。それ自体はあながち間違いでは無かったと思う。ただ知事選では梅田章二氏を擁立したのだから何らかの矛盾が府民に映ったはずだ。実際地域で撒かれた共産系のビラでは、「倉田薫氏も維新とさほど変わらない」といった誹謗が書かれていた。これではいつもの共産党に過ぎなかったのではなかろうか。そうなると、せっかく候補を引っ込めた市長選も、民主、自民と共闘といったことがマイナス印象につながらなかっただろうか?(もちろん自主投票にしていたとしても、公明のような小ずるさが見えてはそれはそれでマイナスだったが)

今も変わらないのかは知らないが、かつて5~6年前、大阪市の職員は吹田や豊中といった市外(たしかに市外)へ自転車で仕事をしに行っても、交通費と出張費が出たという。教育委員会なるものも、どこかの名もない大学の教授が一週間に1回程度顧問で来ればそれなりの費用が支払われるとも聞く。それらの話がどこまで本当かは別として、火の無いところに何とか...というものだろう。マスコミ報道の一面性は承知だが、公務員叩きのバカバカしさを諭されても、もう多くの府民の胸に落ちない。そこまで関西の落ち込みと公的組織、既得権益層の感覚の乖離は激しかったと思う。

大阪は例えば生活保護費の高騰問題が全国一深刻だ。平松前市長がやってきたような政策では、その対処のために生活保護を受ける者が再就職できるよう、担当係官を大幅に増員したそうだが、受益者の心理に「もっとがんばれ」的な働きかけを強化したところで、景気が上向かないので対症療法にすぎない。結局残ったのは担当公務員の増員でさらなる財政負担。今回の共産系知事候補だった梅田氏の政策を読んでも、良い事が列挙してある分、ほんとにやったらお金がかかるだけだろうとの思いがよぎった。民主政権の迷走をすでに見ている府民が、その手のマニフェストで説得できたはずがない。

橋本独裁でもかまわないという判断をした府民の多数派、その思いの底にあるものが何なのか、「独裁批判」を繰りかえした自民も民主も共産もその民意の底を見誤ったと思う。もっと維新と対決できるだけのかみ合った議論、維新の政策との対決はもちろん、民意とかみ合った政策が反維新側に必要だった。それなのにやっていることはいつもの「批判にならない批判」だったと思う。

前出の息子の高校の校長とは、和泉高校の中原校長のことだが、彼は教育基本条例案についての維新の会と府立学校長との意見交換会でこう言っている(府の議事録でネットで公開されている)。「...何か論争することに意味があるというか、案を出したら批判、また案を出したら批判ということをやって、最後は否決するという形になると、本来のいい案が上がってこない」民意の6割ほどが否決したのは対立と時間だけかかって何も生み出さない今までの現状だと思う。しかしこれを逆に捉えれば、反維新側がもっとしっかりした政策議論をしないと、維新側の意見も良くはならないということだ。「独裁批判」=「既得権益擁護」という構図にうまく嵌められてしまった原因は、反維新側にある。

嫁と投票所に行くまでの数十分まだ考えていた。選挙中、平松前市長が言っていることは心情論であり理念的抽象的で分からなかった。前池田市長の倉田薫候補の政策をどこまで知っているのか、それも分からなかった。では維新の提案がどこまでわかるのかと自問すれば、まだまだ何も知らなかった。チラシや広報や新聞TVネットの意見を読んではきたが、候補者の情報は判断材料としてはその程度なのだ。両方の意見がわからないまま、世間の人気につられるのはどうも踊らされるようで納得できなかった。数字の見方を変えれば橋本氏が府の赤字を無くしたというのはウソだという話もある。維新の意見に共感できるものもあるが、独裁とまでいかずとも、民意から浮いた独走も困る。前日のネットニュースで橋本氏やや優勢とあったことも思い出した。

それで、迷いに迷って、松井候補に入れかけた寸前、倉田候補に入れた。完全な消去法。なんとなく自信も確信もない寂しいような判断。

午後8時の開票の瞬間、まだ開票率0.3%なのに維新圧勝の文字がニュースに踊る。自分の迷いなど選挙結果にチリ一つの影響もないとは判りつつ、もう少し私と同じような迷える意見が反映される選挙でも良かったのではと思った。

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