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2014-12-13

民主集中制に選挙は無い

香港の学生デモは、とうとうバリケードの撤去、強制排除で終わりそうです。「我要真普選」といったプラカードに書かれた学生たちの要求は全く正しいのですが、残念なことに、中国共産党はこれをけっして受け入れないでしょう。なぜなら、学生たちが求めている選挙の姿は、中共一党独裁の仕組みの根幹を揺るがすものだからです。一方で選挙権を拡大したように見せかけながら、中共が承認した候補者しか立候補できないという仕組みは、民主集中制に基づいた選挙制度によって香港にも一党独裁を貫徹させようという意図に他なりません。

少し前のことですが、古本屋で買ったつまらない本を読みました。つまらん本なのでリンクも画像もなしです。

「マルクス主義」倉田稔著

そもそもはヒルファーディングの研究者だそうです。
なんとも漠っとしたタイトルもどうかと思いますが、それ以上に、内容がもうバラバラというかダラダラというか....。マルクス主義運動の歴史について自分の知ってることを、前後の関連をさほど考えずに書き流している感じ。学者なんだからもうすこし文章考えようよと言いたくなりました。

ただし、ただしです......、この本には救いがあります。第六章の民主集中制についての論述は、これ全く正しいのです。民主集中制の問題の根幹が、その特殊な選挙制度にあると突いているからです。選挙制度だけで民主集中制の問題の全てが表せるわけではないですが、その選挙制度は一枚岩の党組織を維持するための必須の手法でしょう。そして排他的で独裁的な洗脳組織の空気を創りだす出発点です。だから選挙制度は民主集中制そのものの根幹と言ってもいい。

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民主集中制とは、もともとロシア革命によって生まれた組織原則で、レーニン、コミンテルンを起源とするもの。共産党独裁国家や資本主義国共産党内部の特殊な組織原則です。後の各共産党によって様々なバリエーションが生まれたでしょうが、基本原則は共通している。つまり、組織内部で「民主的」討議を保障する一方で、一致した組織の課題は全党で取り組むということです。しかしほとんどの場合、組織全体で一致した課題に取り組むことがまず優先され、少数派の意見は排除されやすい。ソビエトが生まれた最初の頃は、反革命勢力の謀略と戦う必要があったので、党全体の結束を優先することはしかたがなかったが、社会主義国家が実際に動き始めて、国を共産党一党が独裁するための仕組みとなった時点で、党内の多様な意見を抑圧するシステムとして機能し始めた。

どの国の共産党でも、たしかに建前的には党内討議の民主的自由の保障が謳われる。そしてこの民主的討議と全党的に一致した実践方針に従うことの両立は、責任政党としての実践力をバランスよく保障するものとして不可欠だと言う。しかし一貫しているのは、上部機関の決定に全党が一致して従うというほうの原則であって、一枚岩としての共産党組織の思考と実践をキープすることが優先されてしまい、もうひとつの理念である民主主義はほとんどの場合なおざりにされる。

一般的な民主集中制の説明では、共産党批判のためか、資本主義国の三権分立制度を軸にした民主主義とこの民主集中制を対比させる論があります。がしかし、はたして資本主義国の民主主義制度がどれほど自由なものかは疑問も多いことです。ただ共産党系組織の民主集中制が自由を抑圧する制度になりやすいことはもはや常識。

民主主義を装うためには上級から下級までの組織員が一見普通の代議員制度的な選挙で選ばれることが必要です。でも、上級機関の決定に下部機関が従うには、ある意味従順な下部の人員が必要で、その人員を選ぶための選挙の仕組みも特殊なものになります。

中国共産党も、組織原則としてはこのような民主集中制によって一党独裁を維持しているとのことです。再度強調すれば、香港の学生たちの要求は中共のこの部分を衝いているだけに、けっして中共が譲ることはありえないわけです。中共の民主集中制については石平さんのサイトにわかりやすく解説されています。

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先の倉田稔の本では、民主集中制における選挙の問題として次のような点をあげています。

(1)選出されるべき役員数に対して、推薦される候補者が同数であること。つまり政策についての争いが皆無。
(2)そして候補者はあらかじめ上級機関の推薦や承認を得たものだけであること。

どうでしょう。香港で中共がやろうとしている選挙形態と同じですね。つまり民主集中制での選挙は、信任投票だけの推薦選挙なのです。民衆は上から押し付けられた候補者の中からしか、自分たちの代表を選べない。これは明らかに民主主義社会の普通選挙ではありません。

このような選挙では、誰でも分かるように予め筋書きの決まった出来レースしか生まれません。

倉田稔氏の本から引用すると、
「役員たちは、結局、上部の推薦が大切だということが分かってくる。上部に推薦されないと役員にはなれないわけだから、いつも上級機関の意向を伺うことになる。党本部・組織中央部の傾向には逆らわない方が得策だと、彼は考えるだろう。換言すれば、役員たちは、一般的な下部の組織構成員たちの事を考えないで、上級機関に顔を向けてしまうのである。その組織体から給料を貰って生活している役員、そこから排除されたら外に就職の場がなくて困るという人々にとっては、なおさら深刻で重大である。」

こんな仕組みだから、それぞれの等級に位置する中間機関の人間は、下部の人間が上級の見解に逆らうような意見を出してくると抑圧する側にまわるだろうし、自由にものが言えないある種の洗脳の仕組みが作られていく。特殊な選挙制度が、組織構成員、つまり党員の意見全体を上部の意見に合うものへと統合していき、そしてその選挙結果が党員の思考の統一化と排他性をさらに強めていく。党に従うことで生活が成り立っている党員なら、最初は建前で信じていたかもしれない党の見解も、やがて自分自身の意見であるかのように思い込んでいくでしょう。党に従い党の進む方向で活動することが生きがいであるかのようにさえ思い始める。共産党だけが、共産党こそが、世界を正しい方向へと変える。そんな活動に参加している自分たち党員は、世間のいまいちわかってねー奴らよりも一段上、一歩前に居るんだといった、独善的宗教的観念論を平気で「科学的社会主義」と称するような、そんな思考回路を民主集中制が支えるわけです。

集合知の研究などで聞くジェームズ・スロウィッキー(「『みんなの意見』は案外正しい」などの著書で知られる)は、民主主義の前提として、多様な違った意見が担保されることが必須であるとしています。多様さを排除する民主集中制のもとで多様な意見が生まれるはずもない。99%の党員の意見が一致しているようなところで、いくら表面的に代議員制の討議などしたって、民主主義とは別物です。

昔読んだカール・シュミットの本に次のような言葉があります(「現代議会主義の精神史的地位」)。

「あらゆる現実の民主主義は、平等のものが平等に扱われるだけではない。避けがたいその結果として、平等でないものは平等には扱われないということになる。すなわち、民主主義の本質を形成するものは、第一に、同質性である。第二に、それが必要な場合は、異質なものの排除ないし絶滅を伴う。」
私はこの、こともあろうにナチのイデオローグの言葉が、なぜか共産党組織の内部の雰囲気を見事に言い当てているのが実に不思議でした。

民主集中制が排他性につながるということは、中国共産党のような一党独裁体制ではあからさまです。でも同じく民主集中制を組織原則にしている日本の共産党も、外部からは見えにくいですが全く同じ傾向を持っています。日本共産党はよく自民党の派閥争いや民主党の分派状態を批判するけれど、あれはあれで必要悪という見方もできる。逆に言えば、一人の党首を選ぶのに複数の候補者が出るこうした政党には、民主集中制には無い多様性があるとも見れる。彼らの現実の政策論争がダメダメであっても、またどこかで根回しがあってやはり出来レースであったとしても、派閥のウラに利権が渦巻くにしても、仕組みの上では民主集中制よりマシという見方もありです。そういう角度から見ると、日本共産党などは意見の違う程度の派閥や分派も含み込めないほど自由が無いと言えます。

余談ですが、いつだったか教員免許更新制度の是非について、真っ向から反対する共産党員と飲み屋で議論したことがありました。共産党の人は教員免許更新制度などというものを導入したら、校長や教育委員会などの上の人の顔色ばかりうかがう教師になってしまうと言って更新制に反対していました。しかしそもそも日本共産党は、自分とこの組織原則自体が上の人の顔ばかりうかがう人間ばかり養成する仕組みになっている。共産党員って、自分とこを棚上げした議論をしていったい何を言ってるんだと思ったものです。
それどころか近頃では、上の人の顔色ばかりうかがう結果、「不破哲三は現代のマルクスです」「いやマルクスを超えた」などと党議員がゴマするのを聞いていると、北朝鮮と変わらぬ個人崇拝が始まっているとも見えます。過去には、その不破が朝鮮総連の幹部と交流するのを批判した赤旗記者を、速攻クビにしたのだから、日本共産党の民主集中制の抑圧度も、中共ほどでは無いにしろかなり高い。

以前の記事のどこかでこう書きました。民主集中制とは、多数決と民主主義が必ずしも両立できないことを腹で分かった上で、民主主義を装うための官僚主義の別名であると。

上層部の推薦する人間しか選べないとか、候補を信任しなかったらあとで何言われるかわからんなんて、民主的選挙のはずが無い。結論として、単なる承認選挙しか無い民主集中制に、普通の意味での選挙は無いのです。

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