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2015-07-12

集団的自衛権の議論をめぐって

国会は会期延長され、いつまでも集団的自衛権をめぐる違憲合憲の話ばかりやっています。

自民党の軽率な議員と軽口の止まらない作家風の右翼?がよけいなことを言って、与党を応援するつもりが逆に障害になりました。麻生太郎副総理が「応援団のつもりだろうが、足を引っ張る結果になれば意味はない」とこの若手「勉強会」を批判したとか。しかしこの批判の仕方が問題の本質を軽視していると、これまた批判されています。でもこれ確かに麻生の本音でしょうね。

今の国政の第一課題は何かと言えば、一般の我々から見て経済とか世代間格差とか年金問題・高齢化から派生する諸問題などだと思う。だから、憲法改正、特に9条の改正など今すぐ必要ない。生活格差・所得格差が広がっている今の時代に、なぜここまで集団的自衛権の論議に集中するのか。こちらがあまり頼んでいない話ばかりという印象を持ってしまいます(これは政府に反対派の政党に対してもという意味で)。そもそも第二次安倍内閣が始まって、改憲とか「戦後レジームからの脱却」とか、今それが緊急に考えなければならないことなのかというのは常に疑問でした。ただ、とは言っても一方で、防衛の問題が経済の問題ほどでは無いにしろ無視できない時代になってきているとも思います。

集団的自衛権が違憲かといえば、保守系も含めた多くの憲法学者が違憲だと言ってるぐらいだし、そら違憲だろと。ただ、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、集団的自衛権が違憲だというのは、憲法自身が改憲の必要な矛盾したものだからではないのでしょうか。今すぐの緊急性は無いにしろ、いずれ改憲は必要でしょう。より正確に言えば、憲法自体が矛盾しているのでは無く、実際は矛盾が少なくあまりに美しい理想形であるために、今の時代や国際情勢と日本国憲法の間に避けられない矛盾が生じているのではないのだろうかと思います。この根本問題を把握しているのは、残念ながら護憲派でなく与党の方です。

つい最近こういう記事を読みました。

『ホルムズ海峡「無知、ピンボケの質疑応答に唖然」元タンカー乗り、怒りの直言』 

実際に超大型タンカーの船長を務め、ホルムズ海峡を何十回も航行してきた人の意見。80年代のイラン・イラク戦争で「危機のペルシャ湾」を体験した人の話。

「ホルムズ海峡封鎖はこれまで何度もありました。幸いなことには我が国海運会社所属の船舶は多少の被害はありましたが、大騒ぎするほどの被害ではなかったので、ほとんど報じられませんでした。外国籍の船舶は、触雷による爆発、沈没の被害がありました。火災を起こしている船舶の側を通り過ぎたこともあります」

「しかし、ミサイルが飛び交う時代、制海権、制空権を確保したとは言えず、絶対安全とか安全確保などは何処にいても保証されるモノではありません。従って何処にいても危険はあることを前提として行動するしかない。我々タンカー乗りは常に死の恐怖と闘い、臨戦態勢でことに臨んでいました」

「それは職責としてやむを得ないことであり、それを覚悟で業務に従事していただけで、崇高な理想があった訳ではありません。しかし、結果的には生命線である原油を滞りなく運んで、国民の日常生活に混乱はなかったし、国民もまたそのような危険の中、輸送に従事した我々に感謝どころか、その存在にさえ気付いていません。それで社会は円満に動いているのであって、お互いが職責をまっとうしただけです。それが社会の歯車と言うべきでしょう」

この話を読んで、だったらホルムズ海峡に自衛隊を派遣して機雷除去にあたることも想定せよ、よって集団的自衛権は認めるべきである、......とは単純には考えません。ただ現実に根ざした無視できない意見であることに間違いない。

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さて、ここでは民主党系議員の政府批判もあえて左翼政党のくくりにさせてもらうとして(辻本清美さんも最近目立ってるしねw)、その左翼政党の国会論戦のやり方は、この船長が見てきたような現実とはかけ離れた絵空事に聞こえないでしょうか。違憲か合憲かの対立ばかりで対案を彼らは全く出さない。自衛隊や防衛をめぐる根本的な対案が無いのはいつものことだが、たとえば先の話の石油ルートの確保といった問題ですら、ではもっと違ったルートの確保は無いのかとか、エネルギー政策(これ十分防衛問題)を絡めた対案を出して議論するわけでもない。これでは当然話が法解釈の範囲から広がらず、抽象的な平行線になるにきまっています。

きっと自民党は集団的自衛権が合憲と言う場合ですら、それが実は違憲だということなど分かったうえで口先で建前を言っているのでしょう。改憲には時間がかかり過ぎるので、違憲だが解釈改憲で当面いくしかないという本音と、それを表で簡単には言えない建前の、使い分けで出してきている。だから麻生の言ってることは本音になる。そこはそのまま見ればひどく強引でむちゃくちゃに見える。立憲主義が問題になるのは当然です。

しかしそれを、単に自民党ずるいよと言って済ますには世界情勢が変わりすぎている。そしてそこに、現在の世界情勢と噛み合わない、もう一方の美しすぎる憲法が屹立している。
世界の変化と日本の法制度の間に隔たりがあり、ここに根本問題があるのだから、違憲合憲論議だけをいくらしても噛みあうはずが無いでしょう。

今の世界情勢の変化と逼迫感を多少なりとも感じて議論しているかどうかは、安保法制への反対賛成とは別の面を感じます。既製左翼政党には、そこがズレたまま憲法論議だけをしているひとが多い。そのことも、ある意味日本の国の不幸かもしれません。

今回の安保法案に反対している人の中でも、例えば伊勢崎賢治氏のような人は、集団安全保障と集団的自衛権の守備範囲はどんどん近づいている現実があると言っている。安保法制賛成派の中には抑止力のための安全保障整備を言う人たちが居るが、現実はそのような大枠の論理ですまない、どうしようもない細かな残酷な諸国の現実があり平和への要請がある。国連PKOによる自衛隊派遣であっても、住民保護といった目的になれば戦場から逃げることはできず、自衛隊派遣が他国への内政干渉にもなり、死者も出るだろうがそれでも目的に向かわなければならないこともある。また集団安全保障の問題と同時並行して、南沙諸島の問題に見られるような、自国経済の生命線防衛について同盟国にまかせて知らないふりでは終われない現実がある。

ところが国会の議論など見ていると、例えば先の船長のような日本の下支えをして働く人たちの現実に多少でも理解があるのは、残念ながら、左翼政党よりも、ある意味強引なずるいやり方を今している与党のほうに思えてしまいます。その点が、安倍内閣を根本からは批判しずらいものにしている。

かつては、常に卑怯で、かつやたら強かったアメリカがずいぶん弱くなりました。中国とロシアが新たな帝国主義として台頭しています。中東発信のテロリズムが既存の国家概念を超えた宗教国家の悪しき理想を世界にばらまこうとしています。もはや「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」なんて理想が、一国だけでがんばってみたところでまともに叶えられないこんな時代に、美しい憲法を守れとだけ経文のように繰り返すだけではどこか愚鈍にしか見えないと思うのは私だけでしょうか。

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その愚鈍さを特に露骨にだしているのが、またしても日本共産党です。これから夏にかけて維新や民主が与党に少々でも折れたら、またいつもの「結局正しいのは自分だけ」キャンペーンを大々的にやるのでしょう。今後の展開がどう転んでも、自分たちは外野でキズを負わない位置の場所取りだけはちゃんと確保している。

かつて憲法が生まれる頃、その不戦条項が日本の自衛権すら奪おうとする占領軍の思惑から来ていることを見ぬいて9条の武装放棄条項に猛反対したのは共産党でした。正面でその反対の論陣を張った野坂参三は後にソ連のスパイであったとして90年代初頭に除名された。歴史の歪曲が得意な共産党なので、武装放棄条項への反対が憲法制定当時の党の公式な立場だったとしても、後で除名者の見解だったからと公式見解では無くなるのです。
そして共産党はいつのまにか9条「命」の党に変化しました。さらに今に至ると、ポツダム宣言を日本の戦争を断罪した世界平和の理想であるかのように持ち出す始末。ポツダム宣言など、連合国の(と称しながら実はアメリカ主導による戦勝国の)一方的な価値の押し付けにすぎなかったはず。政府批判の理屈をこねるためなら、いつもの反米も横に置き忘れる。志位和夫自身が党首討論で引用したポツダム宣言8項「カイロ宣言云々」のすぐ後に続く領土規定文が、共産党自身の北方領土問題についての党公式見解とも真っ向から矛盾する点も無視している。
この共産党が鋭いことを言っているように思わされる人たちは結構多いのかもしれません。しかし実際蓋を開けてよく見れば、まともな情勢分析や防衛論議もせずに、70年以上前の古臭い出来事を引っ張り出して綺麗事を言ってるだけなのです。

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集団的自衛権の行使は(公明党の力もあって)かなり限定的なものにされているので、大々的に、例えばイラク戦争に加担したヨーロッパのいくつかの国のように、他国の戦争に巻き込まれるとはあまり思えない。ましてや「日本が再び戦争をする国に」なんてならない。

しかしだからといって自衛隊員の犠牲が絶対起きないということも言えない。いや状況と地域によっては、死者は出るだろう。与党もこのことをごまかした議論をすべきでは無いのではないでしょうか。
また、ごまかしている与党もどうかと思うが、もう一方で国の防衛の話なのに命の犠牲の話が、理論的な議論の段階で先に悪事のように問題にされるというのも何かとても無理がある。そら前線の近くに行って何かを守ろうとすれば誰かが死ぬ可能性はあるよ。でもそれが現実ってものでしょう。そこはどうなのか、議員どうしの机上の議論でなく、自衛隊の人たち自身に聞いてみたい気もする。

(誰だって死ぬのは嫌だから)左翼的にはその命の問題を突っ込む方が国民の受けはいい。そこを例にして護憲を貫けばかっこいい。政府側も死者が出ても仕方がないとは口が裂けても言えないので、いや大丈夫ですと言ってごまかす。でもこんな議論に終わりがあるはずがありません。

国民の中に広がっていくのはどうしても政府への反対論。地方議会の多数も反対、憲法学者だけでなく元最高裁判事まで反対。
このまま、世界情勢と憲法の矛盾が多少はわかっている与党のほうが、頓挫するんじゃないだろうか。あるいは仮に、維新の援護とかで押し切ったら反対の声はさらに高まる。しかし安保法案に反対の陣営も、いつまでも違憲合憲論や「自衛隊に戦死者が出たらどう責任とる」的な議論ばかりで、実質的な防衛の議論を避けているかぎり、何も噛み合わず、議論が不十分という言い方も詭弁になってしまう(本当の議論してないんだから)。
左翼政党の政治家はそこがわからなければならないけど、むりでしょう。ならば、実は左翼政党には国の防衛の議論などやる能力が無いということを、国民の側はもっと理解しなければいけないんじゃないか。
強引にやりすぎる保守と、空論を続けるしか脳のない既製左翼、この両極に分裂した構造で、現実味のある防衛論議が出てこない、今の日本はそういう不幸な状態なのかもしれません。

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